■特集 洪水を防ぐ2つの放水路 :
明治時代になっても、たびたび洪水が起こりました。洪水を防ぐために、川の途中に人工の川である放水路をつくり、川の流れを変えていきました。
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たびたびの洪水被害
荒川は名前のとおり「荒ぶる川」で、昔から洪水の被害がなくなりませんでした。明治時代の荒川は、現在の隅田川を流れて東京湾に注いでいましたが、大雨が降ると水位が増えてたびたび洪水を起こしました。特に1910(明治43)年の洪水は、広い範囲にわたり、多くの死傷者が出ました。現在の葛飾区が属していた南葛飾郡も7割が水につかりました。
1910(明治43)年の洪水で水びたしになった亀有駅
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