第2章 葛飾の歴史
第6節 江戸時代
■江戸時代の葛飾の暮らし :
江戸時代の葛飾は、江戸の暮らしを支える農村地帯でした。葛飾の人びとは、どのような暮らしをしていたのでしょうか。
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村の運営
江戸時代の村は、名主(庄屋)・組頭・百姓代と呼ばれる農民の有力者を中心に共同で運営され、年貢は村単位で納めました。また、五人組という制度をつくり、年貢を納めない場合は共同で責任を負っていました。
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文化財で見る暮らし
葛飾の農村はどのような様子だったのでしょうか。右の絵は「四季農耕図」というもので、葛飾区の登録有形文化財です。江戸時代後半の猿ヶ又村(現在の水元周辺)をえがいたものだと考えられていて、当時の暮らしがわかります。
1 手前の2人は田おこしという田植えの準備をしています。奥の人は種をまき、左奥にはかやぶきの家があります。
2 田植えをしています。右下の田んぼは、スズメなどが稲を食べないように工夫しています。
3 手前の人は、水車を使って水路から水を田んぼに入れているところです。左側には稲を刈っている人がいます。
4 家の中で作業をしています。家の外にあるのは、わらぼっちで、わらを腐らせないようにして、牛のえさなどにしていました。