葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第1節 家とムラ

■親類の付き合い :家例

 本家分家が共に家例と呼ばれる習わしを守っていることがある。
 水元小合町の旧家では屋敷神として天王社を祀っている家がある。この家ではキュウリを食べることを禁忌とし、旅先でも箸を付けることがないという。天王社の紋はキュウリを輪切りにしたものに似ているので、食べるのを控えたと伝えている。
 このように、家やイッケ(本家・分家)によって、特定の食べ物を食べないとか栽培しないという言い伝えを伝えている家がある。例えば、以下のような事例が見られる。

 門松を立てないイッケがある。先祖が大坂夏の陣で負け、落ち武者としてこの地にやってきた。やってきた日が大晦日で門松を飾る暇がなかった。それで今も先祖の苦労をしのんで門松を立てない。神棚の飾り物なども飾らない。また雑煮は人が食べるものには餅を入れるが神棚に供えるものにはゆがいた里芋と煮干しだけを供える。またこの家は小合新田の開拓者と伝えられていて、平家の一族でもあるので名字の一文字に「平」の字が入っている。(水元小合新町)
 正月の餅つきをしない家がある。昔餅つきをしていたら、こねどりをしていた女房を一緒についてしまった。それ以来そこの家では餅つきをしないという。(水元小合上町)
 節分の時の唱えごととして、通常は「鬼は外、福は内」というところを「鬼も内、福も内」と唱えるイッケがある。(上小松町)

 この他、「ゴマを作らない」「ゴボウを作らない」「トウモロコシを作らない」など特定の作物を作らないという家がある。それぞれ由緒について、「畑で作業をしていたときにけがをした」とか「作ったら病人が絶えなかった」などという話を伝えている。
 家の由緒に関連して、「この土地に落ち延びてきた」という伝承を伝える事例は下千葉町にもある。例えば、ある旧家は以前に常陸国佐竹家の家臣であったが、佐竹家が豊臣家に服属することが不服で出奔し、一族の守り神であった不動明王を厨子に入れて担ぎ、下千葉に落ち延びてきたという。その不動明王を祀った堂が現存し、一族の墓所もそこに置かれている。
 分家は本家から土地をもらい受けて家を構えることから、かつては本家と分家といった親戚関係の家同士が近くに寄り添って生活することが多かった。冠婚葬祭や田植えなどの労働力を必要とする機会には、分家の人たちは本家を助けるための労働力として期待されていた。こうしたつながりを強めるために、同じ屋敷神を祀ったり、家を開いたときの言い伝えをよりどころとして伝えているのである。

大畑稲荷の飾り付け(平成27〔2015〕年2月)
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大畑稲荷 初午の日の神饌(平成27〔2015〕年)

甘酒や赤飯などを供える。
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お盆の墓参り(平成7〔1995〕年、東金町)

親戚なども集まって一族の先祖を迎える。
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