葛飾区史

地名の由来③


木下川
 中世からの地名。応永33(1462)年、関東管領上杉憲実の家臣で当時上木毛河郷を知行していた藤原家定は、鎌倉八幡宮の12坊のひとつである相承院に寄進した。昭和7(1932)年葛飾区が誕生した時、「下」の字を「根」に改めた。

千葉
 中世からの地名。「田数注文」には「木庭袋」、「所領役帳」には「千葉袋」とみえる。古隅田川の湾曲部に位置する。「袋」は、三方が閉じられた口の部分にあたる地形をさす。伝承では千葉袋に城があったという。

小合
 中世からの地名。「田数注文」には「小鮎」、「所領役帳」には「小合」とみえる。「田園簿」以降、上小合村・下小合村・小合新田に分かれた。

飯塚
 中世からの地名で、村内にあった塚にちなむ。「新編武蔵」は、「飯塚 村ノ北ノ方ニテ。髙四五尺鋪七間許ノ塚ナリ。是村名ノ起ル所ナリト云」と記す。

渋江
 中世からの地名。「江」は海・湖などが陸地に入りこんだところで入り江を意味する。なお、地誌類は葛西清重の館跡であったと伝えるが、清重塚の項目で疑問を呈している。地元では「しぼえ」ともいった。

猿ヶ俣
 中世からの地名。伊勢神宮に寄進された荘園の名を伝える。猿ケ又、猿ケ亦とも書く。「さる」は「去る」に通じるとして、地元では「やえんまた」ともいった。

砂原
 近世の新田村。「元禄郷帳」に一村として登場する。一帯はかつての海岸線の名残りの隆起砂州やその後利根川の本流であった古隅田川が形成した自然堤防の砂地であった。