年表

中世 平安時代末~室町時代
時代 年代 葛飾区関連事項 参考事項
平安 治承元 1177 年頃 豊島清元が下総国葛飾郡葛西地域を治める 平清盛が太政大臣となる(1167 年)
治承元~4 1177 ~
1180 年
葛西清重が父の豊島清元が治めていた下総国葛飾郡葛西地域を継承する 壇ノ浦の戦い(1185 年)
治承4 1180 葛西清重が源頼朝から参陣を求められる
養和元 1181 葛西清重が源頼朝の寝所の警備を命じられる
寿永元 1182 葛西清重が源頼朝から伊勢神宮へ献上する馬の調達を命じられる
元暦元 1184 葛西清重が平氏追討のため源範頼に従い九州に渡る
文治5 1189 豊島清元・葛西清重親子が奥州藤原攻めに参加する
建久元 1190 葛西清重が右兵衛尉に任命される
鎌倉 建久3 1193 年頃 下総国葛飾郡南部に葛西御厨が成立 源頼朝が征夷大将軍となる(1192 年)
承久元 1219 葛西清重が出家し定蓮と名乗る 承久の乱(1221 年)
嘉禄3 1227 年頃 葛西清重が没する 鎌倉幕府滅亡(1333 年)
安貞2 1228 将軍家御所で行われた相撲大会で、芝俣平次三郎が相撲をとる
室町
(南北朝)
至徳4 1387 足利義満が上杉憲方に対して葛西御厨の所領を安堵する 足利尊氏が征夷大将軍となる(1338年)
室町 明徳4 1393 足利義満が上杉憲方に対して葛西御厨の所領を安堵する 南北朝が統一(1392 年)
応永5 1398 年 「葛西御厨田数注文」が作成される。葛飾区域には 16 の郷村がある
享徳3 1454 年頃 享徳の乱(1454 ~ 1482 年)の影響で葛西城が築城される
康正3 1457 年 太田道灌が江戸城を築城する
寛正2 1461 足利成氏が葛西城を攻める
大永5 1525 三戸義宣が長尾為景に書状を送る。文中に「葛西城が落ちれば当国滅亡は目前」とある。
室町
(戦国)
天文7 1538 年 北条氏綱が葛西城を攻め落とす 応仁の乱(1467 ~ 1477 年)
北条氏綱が足利義明及び里見義堯を国府台で破る(第1次国府台合戦) 種子島に鉄砲が伝来(1543年)
天文19 1550年頃 足利晴氏、芳春院、梅千代王丸が葛西城に御座する
天文23 1554 足利晴氏が葛西城を出て古河城へ立て籠もる
弘治元 1555 梅千代王丸の元服の儀式が葛西城で執り行われる。梅千代王丸は足利義氏と名乗る
永禄元 1558 足利義氏が葛西城を出る。以後、葛西城へ戻ることはなかった
永禄2 1559 年 「小田原衆所領役帳」が作成される。葛飾区域には 15 の地名がある フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝える(1549 年)
永禄3 1560 年 上杉氏が葛西城を攻め落とす
永禄5 1562 北条氏康が本多正勝に「忍」による葛西城乗っ取りを命じる
永禄5 1562 年 北条氏が葛西城を奪い返す 桶狭間の戦い(1560 年)
永禄7 1564 年 北条氏康が里見義弘を国府台で破る(第2次国府台合戦)
この頃 葛西新宿が整備される 室町幕府滅亡(1573 年)