No.1867 令和4年 (2022年) 3月5日 広報かつしか Katsushika 発行/葛飾区 編集/広報課 〒124−8555 葛飾区立石5―13―1 電話03−3695−1111 毎月5日・15日・25日発行 タイトル 区公式ホームページが108カ国の言語で閲覧できるようになりました Katsushika City official website is now available in 108 languages タイトル かつしか人 若い力が活躍!  区内で地域のためにひた向きに活動したり、スポーツや文化・芸術に一生懸命取り組んだりしている若い世代の方を紹介します。 【担当課】 広報課 電話03‐5654‐8116 蝦名聖也(えびな・せいや)さん  余命3カ月の白血病を乗り越え、体に優しい食材を使った料理で地元に貢献したいと、令和3年11月、立石にカフェをオープンした。メニューには豆乳のスープやパスタ、こだわりの野菜を使用したサラダなどがある。 【所在地】 CAFE&DINING「SOY LOVE U」(立石4‐1‐11) 撮影のために一時的にマスクを外しています。 白血病になった僕が今できること 〜感謝の想いを料理に込めて〜 story1 葛飾で生まれ育ち、ひた向きに生きる  僕はお花茶屋で生まれ育ち、大学卒業後、よつぎ小学校で心身に障害のある児童をサポートする、スキルアップ指導員として4年間働いた後、子どもの頃から続けてきた俳優の仕事を本格的に始めました。  俳優として活動していくうちに、より直接的に人を喜ばせたいと思うようになり、芸能界をめざす方の夢を叶えるサポートをする仕事に転職しました。誰かの夢が叶い、喜んでもらえることが嬉しくて、数カ月で営業のトップとなるほど、夢中になって働きました。 story2 余命宣告を受けても、前を向く  「白血病の末期です」。僕は食事も睡眠時間も犠牲にした生活に、身体が悲鳴を上げていたことに気付きませんでした。救急車で運ばれた後、移植手術を受けましたが、早期に再発してしまいました。29歳で余命3カ月と苦しい現実を突き付けられ、母に「今日だけは泣いてもいい?」と言って一日中泣きました。  けれど、次の日には「大好きな人たちのために生きたい」と、家族に複数のセカンドオピニオンの先生の所に行ってもらい、僕は無菌室から電話で参加して治療法を探しました。諦めずに病院を探し続け、7つ目の病院で成功する可能性があると言われて、兵庫県まで母と一緒に2度目の移植手術を受けに強い気持ちとともに向かいました。  手術は無事終えましたが、長期間におよぶ過酷な治療で、皮膚障害や嘔吐、さまざまな痛みが同時に起こる壮絶な日々が待っていました。どうしたらこのような症状が改善できるかと調べ尽くし、たどり着いたのが僕の場合、SOY(大豆)でした。入院中は、大豆はもちろんのこと、栄養バランスを考えた母の手料理に支えられ、余命3カ月と宣告されたあの日から4年、今も元気に生きることができています。 story3 自身の経験を生かし、カフェを開く  僕が大豆や栄養バランスを整えた料理に救われたように、僕の料理でどなたかの支えとなることができたらと、地元葛飾にカフェをオープンしました。資金はクラウドファンディングで集め、経営は初めてだったので区の創業塾に通い、基礎から勉強しました。コロナ禍で思うように工事が進まないなど大変なこともありましたが「それなら自分たちで作ろう」と支えてくれる仲間と一緒に内装やテーブル、イスなどを作り、想いのこもったお店にすることができました。 story4 カフェで働く私の“今とこれから”  小さい頃から料理をすることが好きで、僕が作った料理をお客さんが美味しいと、笑顔で喜んでくれることにやりがいを感じています。まだ身体の状態が万全ではないので、周りの人に助けてもらいながら無理なく楽しく働けています。  コロナ禍で今までと同じような生活をすることは難しいですが、僕のお店がどなたかの安心できる場所となり、身体にも心にも優しい空間となってくれたらうれしいです。  これからも助け合いながら、感謝の想いを持って、お世話になった葛飾を盛り上げていきたいです。 タイトル 記事に関連する区の取り組み紹介 ▼食・栄養の関連情報 ▼創業塾