8面 区の手続きや催し物の問い合わせ、がん検診の申し込みは、はなしょうぶコール 電話6758−2222 午前8時〜午後8時 年中無休 ファクス6758−2223 電話番号の表記のない記事に関する問い合わせは、はなしょうぶコールへお問い合わせください。 葛飾区ホームページ http://www.city.katsushika.lg.jp タイトル 第2回かつしか文学賞大賞作品「天晴れオコちゃん」区民キャストを募集します!舞台化決定!あなたのまちから、明日の舞台俳優を! キャスト募集要項 【対象】 次の全てに該当する方(年齢・性別・経験不問) ▼かつしか文学賞の趣旨に賛同いただける方 ▼公演日および原則として全稽古に出席できる方(稽古は平成27年2月から月1〜2回で始まり、公演日1カ月前から毎日集中稽古を行います) ▼原作を読んで内容を理解いただいた方 【選考】 平成26年12月21日(日) 【申込方法】 申込用紙に必要事項を記入の上、11月30日(日)(必着)までに持参か郵送。 【申込用紙配布場所】 ▼かつしかシンフォニーヒルズ(立石6−33−1) ▼区内図書館 ▼地区センター ▼学び交流館  区ホームページからも取り出せます。 【申し込み・問い合わせ】 〒124−0012 立石6−33−1 かつしかシンフォニーヒルズ内 「天晴れオコちゃん」キャスト募集係 電話5670−2222 メールbunka@k-mil.gr.jp 公演概要 【公演日】 平成27年11月28日(土)・29日(日) 【会場】 かめありリリオホール(亀有3−26−1 イトーヨーカドー駅前店8・9階) 【主催】 葛飾区、葛飾区文化施設指定管理者 【後援】 葛飾区教育委員会、東京新聞、株式会社ジェイコム東葛葛飾 【協力】 京成電鉄株式会社、葛飾エフエム放送株式会社 【監修】 佐藤B作氏 【脚本・演出】 中島淳彦氏 「天晴れオコちゃん」舞台化に際して 原作者 三宅直子さん  幸いに「第2回かつしか文学賞」を受賞することができ、小説の人物たちを世に出すことができました。   知人友人が、この小説を読んで葛飾のことがよく分かったと言ってくれます。  私にとって葛飾はすっかりなじみになって、春には水元の桜並木を見に行きましたが、実際に小説の人物たちもそこで暮らしているように思えました。小説が舞台化されるということで、その人物たちと舞台で会えるのが、今から楽しみでなりません。  大勢の方々のご尽力で素晴らしい舞台になりますよう、念じております。 かつしか文学賞とは  区民の皆さんの文化芸術活動への参加意欲を高め、葛飾独自の文化を発信していくことを目的に、葛飾区の「文化事業」の一環として実施している事業です。  「第2回かつしか文学賞」は「葛飾区を舞台に、そこに暮らす人々の心のふれあい」を題材とした作品を募集し、応募総数163作品の中から調布市在住の三宅直子さんの「天晴れオコちゃん」が大賞に選ばれました。 かつしか文学賞作品集を販売しています  大賞「天晴れオコちゃん」他優秀作品3編を収めた「第2回かつしか文学賞」作品集(1冊1,000円)です。 ▼区政情報コーナー(区役所3階304番) ▼かつしかシンフォニーヒルズ(立石6−33−1) ▼かめありリリオホール(亀有3−26−1 イトーヨーカドー駅前店8・9階) ▼区内の一部書店 区内図書館で閲覧できます。 【担当課】 文化国際課 電話5670−2259 タイトル かつしかの暮らしと文化 168 かつしか戦国絵巻(3)葛西城をめぐる攻防と戦禍 永禄元年(1558)4月、足利義氏(よしうじ)は葛西城をたち、北条氏の本拠地小田原城へ入ります。その後、義氏は同年8月までに関宿城(千葉県野田市)を御所としました。この時期には、葛西城は最前線ではなく、下総などの前線へ物資などを供給する後方支援基地としての役割を担うようになります。  永禄3年(1560)、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)が関東に進攻し、反北条勢力を結集して北条氏の本拠地である小田原城下まで軍を進めました。この進撃によって葛西城は落城して反小田原勢力の城となります。  しかし、永禄5年(1562)3月以降、北条氏は地元の本田氏に葛西城を乗っ取ることを持ち掛けます。その時の北条氏と本田氏とのやり取りを記録した「本田文書」によると、褒美の交渉や「忍」を使って葛西城を落とせと命ずるなど、城攻めに関する興味深い状況がうかがえます。  葛西城は、最終的には北条方の太田康資(おおたやすすけ)の指揮の下、本田氏なども加わって攻略され、永禄5年4月に再び北条方へ帰属します。  2年後の永禄7年(1564)、太田康資が里見方へ寝返ったため、北条氏と里見氏は再び国府台で戦うことになります。当初は北条方の有力な武将が討ち死にするなど、里見氏が優勢でした。しかし、里見氏の油断に乗じた北条氏は夜襲により撃退します。この永禄7年の戦を第二次国府台合戦と呼びます。  度重なる戦乱は人的な被害だけでなく、水元に所在する遍照院や、金町の金蓮院・半田稲荷、柴又の真勝院など、葛西地域に所在する寺社に戦禍を及ぼしました。  戦によって荒廃した葛西地域は、北条氏によって復興が進められましたが、天正18年(1590)に豊臣秀吉による小田原攻めが開始されると、葛西の村々では、豊臣軍の乱暴狼藉(ろうぜき)を避けるために秀吉の朱印が押された禁制(※)を得る交渉が行われていたことが、葛西神社に伝わる史料に残っています。  しかし、葛西城だけは抵抗していましたが、早々に戸田忠次の軍勢に攻め落とされてしまいます。その後、北条氏が降伏したため、150年余り続いた関東の戦国の世も終焉を迎え、近世という新しい時代の幕開けとなります。  関東の戦国の幕開けとなった享徳の乱から今年で460年目を迎えます。この乱を機に青戸に築かれた葛西城を中心とした戦国史を紹介しました。その葛西城は現在、東京都の史跡として本丸の一部が保存されています。 (郷土と天文の博物館) ▲天正8年4月29日付「浅野長吉書状」 (葛西神社文書)  飯塚村・猿俣村・小合村・金町村・柴又村の五カ村について禁制を長吉が取り次いだ旨が記されている。 (※)禁制…軍勢の乱入による略奪や放火を禁止する命令のこと。 タイトル 区役所本庁舎開庁 月〜金曜日/午前8時30分〜午後5時 延長・日曜開庁 水曜日/午後7時30分まで 第4日曜日/午前9時〜正午 戸籍・住民登録など一部の業務取り扱い。詳しくは、はなしょうぶコールへ 電話6758−2222