| 柴又八幡神社古墳 | ![]() |
柴又八幡神社古墳は、東京東部に広がる東京低地に位置する。横穴石室と埴輪を伴う古墳時代後期6世紀後半に築かれた古墳で、規模、墳形などの詳細なデータは現在学術調査中であり整理作業終了後に報告する予定である。
石室の石材は、法皇塚古墳(千葉県市川市)、赤羽台古墳群(東京都北区)、将軍山古墳(埼玉県行田市)と同じ房州石で、房総半島の鋸山周辺の海岸部から持ち込まれたものである。出土した形象・円筒埴輪は、いわゆる下総型に属するものである。本古墳は、房総と武蔵との境界地域に位置し、両地域の地域性と交流を示す古墳として注目されている。

葛飾区郷土と天文の博物館では、東京低地の古代を探るべく地元の協力を得て柴又八幡神社古墳の学術調査を博物館考古学ボランティア「葛飾考古学クラブ」とともに平成10年から行っている。
平成13年7〜8月に行われた第5次学術調査では、社殿北西の調査区から人物埴輪が3体出土し、そのうち1点は帽子を被っていた。出土した時、考古学ボランティアが「あ!寅さんだ!」声を上げたほど、葛飾柴又ならではの発見となった。出土した8月4日は、奇しくも渥美清さんの命日だった。「寅さん似の埴輪」として地元でも話題となり、山田洋次監督自ら遺物整理を行っている博物館まで見学に訪れている。
平成12年度に実施した第4次学術調査で出土した胴部下半を表現しない女性の半身像で、基部と手先や髷部を失っているもののほぼ全容の知れる資料である。遺存状況から頭部にはつぶし島田が結われ耳環が付いていたことがわかる。首には大きな突帯が巡り、首から胸に掛けて大粒のボタン状貼付で2列の玉が下がる首飾りが表現されている。
当時の新聞報道では「養老五年下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(正倉院文書)に記載されている「孔王部佐久良売」に引っ掛けて古墳時代のサクラさんとして報道された。
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古墳時代後期 高さ20.5センチ
帽子を被った男性の頭部破片である。眉毛と鼻はT字状に作り出し、目と口は横長に穿たれており、下総型としては比較的首が長く表現されている。首には突帯が巡り、耳環と首飾りが施され、額には白く塗彩した痕が残っている。帽子は鍔付で深さのない丸身のもので、頭頂部には孔が開いている。
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