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- 葛飾ゆかりの人
■ゆかりの人一覧
あ | 青山 士 | 土木技師 |
---|---|---|
秋本 治 | 漫画家 | |
あきやま ただし | 児童文学 作家 | |
浅香 光代 | 女優 | |
渥美 清 | 俳優 | |
い | 伊左衛門(三代目) | 農家 |
井澤 弥惣兵衛為永 | 幕臣 | |
李 政美 | シンガーソングライター | |
石川 逸子 | 詩人 | |
石毛 慶次郎 | 経営者 | |
礒貝 忠次郎 | 堀切園園主 | |
五木 寛之 | 作家 | |
伊藤 一葉 | 手品師 | |
いとう せいこう | 作家 | |
井上 靖 | 小説家 | |
岩田 藤七 | ガラス工芸家 | |
岩田 久利 | ガラス工芸 | |
いわま まりこ | 児童文学 作家 | |
う | 内山 信二 | タレント |
内山 勇士 | 監督・脚本家 | |
お | 大澤 豊 | 映画監督 |
大貫 美奈子 | 元バレーボール選手 | |
大野 義光 (吉川三男) | 刀匠 | |
大村 能章 | 作曲家 | |
岡本 眸 | 俳人 | |
か | 葛西 清重 | 武士 |
勝 承夫 | 詩人 | |
勝間 和代 | 経済評論家 | |
亀田 興毅 | 元プロボクサー | |
亀田 大毅 | 元プロボクサー | |
亀田 和毅 | プロボクサー | |
加山 又造 | 日本画家 | |
河瀬 秀治 | 官吏 | |
川畑 要 | 歌手 | |
き | 北澤 一京 | 江戸木彫刻 職人 |
木村 礎 | 歴史学者 | |
清田 敏雄 | 飾熊手職人 | |
く | 栗本 薫(中島 梓) | 小説家 エッセイスト |
こ | 小林 孝亘 | 洋画家 |
小林 秀雄 | 作曲家 | |
小堀 進 | 洋画家 | |
小室 等 | フォークシンガー | |
小宮 康助 | 染色家(江戸小紋) | |
小宮 康孝 | 染色家(江戸小紋) | |
さ | 早乙女 勝元 | 作家 |
さだ まさし | 歌手・小説家 | |
佐藤 安太 | 玩具製造 ・販売 | |
三代目 吉原 國家 (吉原 荘二) | 刀匠 | |
三遊亭 遊三 | 落語家 | |
芝木 好子 | 小説家 | |
し | 清水 幸太郎 | 染織家(長板中形) |
す | 杉野 行雄 | ゴム製造業 |
せ | 瀬川 拓男 | 人形作家 |
そ | 曽野 綾子 | 作家 |
た | 大道 健二 | 元大相撲力士 |
髙橋 尚成 | 元プロ野球選手 | |
高橋 陽一 | 漫画家 | |
武井 壮 | タレント | |
武宮 正樹 | 囲碁棋士 | |
田山 花袋 | 小説家 | |
つ | つげ 義春 | 漫画家 |
鶴見 俊輔 | 思想家 | |
て | 出口 正子 | オペラ歌手 |
豊嶋 訓三 | 能楽師 | |
と | トーマス・J・ウォートルス | 建築技師 |
豊田 正子 | 小説家 | |
な | 内藤 大助 | 元プロボクサー |
永井 荷風 | 作家 | |
中島 唱子 | 女優 | |
中野 藤助 | 農家 | |
中村 是好 | 喜劇俳優 盆栽家 | |
なぎら 健壱 | シンガーソングライター タレント | |
は | 倍賞 千恵子 | 女優 歌手 |
早川 勇夫 | 医薬品開発者 | |
林 芙美子 | 作家 | |
半村 良 | 小説家 | |
ひ | ビートたけし | タレント 映画監督 俳優 |
平櫛 田中 | 彫刻家 | |
平松 保城 | 金属工芸家(ジュエリークラフト) | |
平山 ユージ | フリークライマー | |
晝間 弘 | 彫刻家 | |
ふ | 福岡 政行 | 政治学者 |
福田 千惠 | 日本画家 | |
藤田 喬平 | ガラス工芸家 | |
二葉 百合子 | 浪曲師 歌手 | |
ほ | 細江 英公 | 写真家 |
穂高 健一 | 作家・ジャーナリスト | |
堀川 真理 | バレーボール選手 | |
ま | 槇村 さとる | 漫画家 |
益子 直美 | タレント スポーツコメンテーター 元バレーボール選手 | |
又井 健太 | 作家 | |
松谷 みよ子 | 児童 文学作家 | |
み | 水谷 章三 | 児童 文学作家 |
嶺 貞子 | 声楽家 (ソプラノ) | |
宮地 伸一 | 歌人 | |
も | 本宮 ひろ志 | 漫画家 |
森川 由加里 | 歌手 | |
森谷 史佳 | バレーボール選手 | |
や | 山下 雅道 | 宇宙生物科学 |
山田 洋次 | 映画監督 脚本家 | |
よ | 吉田 照美 | フリーアナウンサー タレント |
吉野 弘幸 | 元プロボクサー | |
吉本 隆明 | 思想家・詩人 | |
吉原 義一 | 刀匠 | |
吉原 義人 | 刀匠 | |
四代目 柳家 小せん (飯泉 真寿夫) | 落語家 | |
り | 柳亭 風枝 | 落語家 大道芸人 |
LiLiCo | 映画コメンテーター | |
わ | 渡辺 明 | 将棋棋士 |
渡部 香生子 | 水泳選手 | |
綿引 道郎 | 彫刻家 |
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青山 士 (あおやま あきら)
土木技師
- 1. 明治11(1878)~昭和38(1963)年
- 2. 荒川の下流部(現隅田川)で発生していた水害を防ぐため、荒川放水路(現在の荒川河口から上流約22㎞の間)の掘削工事を指揮した土木技師。大学卒業後に渡米。明治37(1904)年からパナマ運河の建設工事に参加し、完成間近の明治45(1912)年に帰国した。この後、土木行政などを管轄していた内務省に入り、大正4(1915)年から荒川下流部と放水路との分岐点になる岩淵水門(現北区)の設計・施工に当たる。大正7(1918)年には荒川放水路工事の最高責任者となった。大正13(1924)年、荒川上流と放水路がつながり、放水路に水が通されている。昭和2(1927)年に青山が配置換えとなった後も関連工事が行われ、荒川放水路は昭和5(1930)年に完成した。このように現在の葛飾区内を流れる荒川は、青山の指揮の下で造られた人工の川である。荒川放水路の完成によって現在の隅田川沿岸地域の水害は少なくなり、葛飾区域の水害の軽減にもつながった。
- 3. 荒川放水路(現在の荒川河口から上流約22㎞の間)の掘削工事を指揮。
秋本 治 (あきもと おさむ)
漫画家
- 1. 昭和27(1952)年~
- 2. 型破りな巡査長、両津勘吉が個性豊かなキャラクターたちと繰り広げる大騒動を描いた漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(以下『こち亀』)の作者。昭和51(1976)年9月より『週刊少年ジャンプ』で『こち亀』の連載を開始し、以降40年間一度も休載することなく週刊連載を続け、平成28年(2016)年9月に連載40周年を達成した。『こち亀』では葛飾区内の風景や人情がきめ細かく描かれており、作品の魅力の1つとなっている。台湾などでもアニメが放映されていたことから、海外での人気も高い。平成18(2006)年以降、JR 亀有駅周辺に『こち亀』キャラクターの銅像が建てられ、その数は平成28(2016)年までに15体となった。この他、『こち亀』ラッピングバスの運行、関連グッズの作成やイベントの開催など『、こち亀』は街のにぎわいを生み出している。『こち亀』のキャラクターとともに下町の空気を感じようと、区には国内外から多くの観光客が訪れている。名誉区民。
- 3. 葛飾区亀有出身
あきやま ただし (あきやま ただし)
児童文学
作家
- 1. 昭和39(1964)年~
- 2. 『ふしぎなカーニバル』で第14回講談社絵本新人賞を、 『はやくねてよ』で1995年日本絵本大賞を受賞。『まめうし』シリーズや『たまごにいちゃん』シリーズ、『パンツぱんくろう』シリーズ、『はなかっぱ』シリーズなど多くの著作がある。
- 3. 葛飾区立図書館の子ども用図書館バックのデザイン原画を描いた。
浅香 光代 (あさか みつよ)
女優
- 1.
- 2. 太平洋戦争後、女剣劇を復活させて存続させた女優。9歳で浅香新八郎・森静子の一座・新生国民座に入団した。新生国民座が解散した後、昭和20(1945)年、現葛飾区亀有にあった日立館で芝居を行っていた阪東鶴蔵一座に入り、一家で亀有に転居した。ほどなくして阪東鶴蔵一座を辞めることになり、自分の一座を結成した。昭和30年代、浅草にて女剣劇全盛時代を築いた。後に都心の大劇場でも講演した。平成21(2009)年、旭日双光章を受章。
- 3. 現葛飾区亀有にあった日立館に出演していた。踊りを習うため、現葛飾区高砂に住んでいた阪東鶴蔵の自宅に亀有から徒歩で通っていた。阪東鶴蔵一座を辞めた後も、亀有に自宅を購入し在住していた。現葛飾区東立石に昭和40(1965)年ころまであった浜田演芸場にも出演していたという。
渥美 清 (あつみ きよし)
俳優
- 1. 昭和3(1928)~平成8(1996)年
- 2. 『男はつらいよ』の主人公である車寅次郎(「寅さん」)を演じた俳優。演劇俳優として舞台経験を積んだ後、浅草でコメディアンとなる。この後、テレビドラマやバラエティ番組、映画へと活躍の場を広げた。昭和43(1968)年、山田洋次脚本のテレビドラマ『男はつらいよ』の主演を務める。翌年に映画化され、平成7(1995)年までに48作品が公開された。『男はつらいよ』は「一人の俳優が演じた最も長い映画シリーズ」としてギネス世界記録に認定されるなどの記録を残す大ヒット作となり、舞台の柴又は全国的に有名になった。『男はつらいよ』での人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えたことから、亡くなった翌月の平成8(1996)年9月に国民栄誉賞を受賞した。翌年に開館した「葛飾柴又寅さん記念館」には多くの人が訪れている。また、平成11(1999)年には地元商店会と観光客の募金により京成柴又駅前に「フーテンの寅」像が設置されるなど「寅さん」は人々に愛され続けている。
- 3. 葛飾区柴又を舞台にした映画『男はつらいよ』で主演。
伊左衛門(三代目) (いざえもん)
農家
- 1. 生没年不詳(江戸時代末頃)
- 2. 19世紀前半に作られた堀切で最初の菖蒲園(後の小高園)を父親から受け継ぎ、花菖蒲の品種改良に力を尽くした。武蔵国葛飾郡堀切村(現堀切)にて花の栽培を行う農家に生まれ、花菖蒲の栽培に取り組んだ先代の伊左衛門より菖蒲園を受け継いだ。19世紀半ば、現在のように複雑な花の形を持つ花菖蒲の品種を作り出した旗本・松平定朝から苗を買い求めて栽培するなど、新しい品種の収集や品種改良に取り組んだ。見事な花を咲かせていた伊左衛門の菖蒲園は評判となり、江戸幕府12代将軍である徳川家慶と後に13代将軍となる家定の親子が鷹狩りの休憩で立ち寄った他、多くの人が訪れるようになった。同園を訪れた尾張藩の藩主は、自らが書いた「艸花」「日本一菖蒲」の書を贈っている。伊左衛門の菖蒲園は子孫に受け継がれ、明治10(1877)年、園名を「小高園」とした。同園は昭和17(1942)年に廃園となったが、それまでは観光名所としてにぎわった。
- 3. 現葛飾区堀切出身、花菖蒲の品種改良に尽力。
井澤 弥惣兵衛為永 (いざわ やそべえためなが)
幕臣
- 1. 生年不詳~元文3(1738)年
- 2. 18世紀初め、新田開発とこれに関わる治水工事などを行った幕臣。紀州藩の土木事業に従事した後、同藩で仕えた徳川吉宗が江戸幕府8代将軍となったことから、吉宗によって幕臣に取り立てられた。享保14(1729)年、農業用水の水源として小合溜井(現水元小合溜)を整備する。「溜井」とは川をせき止めて造った水を溜めておく施設のことで、小合溜井が造られる前、葛飾区域には古利根川(現中川)をせき止めた亀有溜井が亀有村と新宿町の間にあった。しかし、堤の1つが洪水で流されたことから、井澤は亀有溜井を廃し、せき止めていた古利根川の川幅を広げて流れを元に戻す工事を行った。この後、上流の猿ヶ又(現水元)で東に向かい江戸川に合流していた古利根川をせき止めて小合溜井を造るとともに、ここを水源とする上下之割用水を整備した。この用水からは多くの用水が分かれて田を潤し、後の時代まで農業に欠かせないものになった。
- 3. 小合溜井(現水元小合溜)と農業用水を整備。
李 政美 (い じょんみ)
シンガーソングライター
- 1. 昭和33(1958)年~
- 2. 在日コリアン2世のシンガーソングライター。朝鮮半島・済州島生まれの両親の元、6人兄弟姉妹の末っ子として生まれた。音大生(国立音楽大学声楽科)の頃からライブ活動を開始した。卒業後、昭和58(1983)~平成16(2004)年まで約20年間、都立南葛飾高校定時制(葛飾区立石)で朝鮮語の講師を務めた。この間、35歳の時に代表曲「京成線」などのオリジナル曲を作り始め、音楽活動を再開した。現在は日本及び韓国の各地でコンサートを行っている。
- 3. 葛飾区出身。都立南葛飾高等学校定時制に1年通った。大学卒業後、同校にて約20年間、朝鮮語の講師を務めた。
石川 逸子 (いしかわ いつこ)
詩人
- 1. 昭和8(1933)年~
- 2. 最初の詩集『日に三度の誓い』 が注目を集め、昭和36(1961)年発表の第2集『狼・私たち』で第11回 H氏賞を受賞。昭和61(1986)年には第6詩集『千鳥ヶ淵へ行きましたか』で第11回地球賞を受賞するなど、社会派女流詩人として活躍している。
- 3. 昭和33(1958)年より葛飾区に在住。主な著書に『オサヒト覚書』『道昭』がある。
石毛 慶次郎 (いしげ けいじろう)
経営者
- 1. 明治17(1884)年〜没年不明
- 2. 晒工場の経営者であるとともに、戦後は葛飾区内の各種団体の長を務めた。埼玉の工場で働いた後、東京で独立した。明治42(1909)年、妻と二人で現葛飾区四つ木に石毛染晒工業(後の石毛染晒工業有限会社)を設立した。昭和27(1952)年、染晒業界での功績により緑綬褒章、および社会事業に貢献した功績により紺綬褒章を、昭和29(1954)年には消防分野の功労者として藍綬褒章を受章。他にも褒章を多数受章した。
- 3. 昭和25(1950)年に葛飾区社会福祉協会の初代会長に就任するなど区内各種団体の長を務め、多くの褒章を受章した。昭和26(1951)年、顕彰会によって胸像が作られ多くの参列者を集めて除幕式が開催された。この胸像は、現在、渋江公園(葛飾区東立石)にある。
礒貝 忠次郎 (いそがい ちゅうじろう)
堀切園園主
- 1. 明治4(1871)~昭和15(1940)年
- 2. 現在の堀切菖蒲園の前身である堀切園の初代園主。堀切村(現堀切)で花の栽培としめ飾り作りを行っていた農家に生まれる。明治25(1892)年頃、忠次郎の代で花栽培の専業となり堀切園を開いた。昭和5(1930)年の堀切園では花菖蒲栽培だけでなく、旅館や料亭も営むようになっていた。また、昭和初期には毎年盆踊り大会が開催され、人々の行楽地にもなっていた。忠次郎の死後に堀切園を受け継いだ息子の庄太郎は、昭和17(1942)年、戦時下の食糧難のため菖蒲園が水田となった時、江戸時代に開発された花菖蒲の貴重な品種を疎開させて守り、旅館を続けながら園を維持した。終戦後、庄太郎は疎開させていた花菖蒲を植え戻し、昭和28(1953)年、有限会社堀切菖蒲園と名を改めて観光旅館とともに営業を再開した。この後、昭和35(1960)年に都立公園となり、昭和50(1975)年には葛飾区立公園となった。忠次郎が開いた菖蒲園は、戦時下の廃園の危機を乗り越えて江戸時代の花菖蒲を伝え、現在、多くの人々でにぎわう観光名所となっている。
- 3. 現葛飾区堀切出身、在住、堀切菖蒲園の前身である堀切園を開園。
五木 寛之 (いつき ひろゆき)
作家
- 1. 昭和7(1932)年~
- 2. 昭和41(1966)年に『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、『青春の門 筑豊篇』で吉川英治文学賞、第50回菊池寛賞を受賞するなど数々の受賞歴がある作家。著書『戒厳令の夜』や『青春の門』、『大河の一滴』が映画化されるなど、幅広く親しまれている。
- 3. 『日本人の心・中国関東篇』の「フーテンの寅さんへの憧れ」で柴又や立石など葛飾区の魅力を紹介している。
伊藤 一葉 (いとう いちよう)
手品師
- 1. 昭和9(1934)~昭和54(1979)年
- 2. 軽妙な話術にのせた巧みな手品を得意とし、寄席やテレビで活躍した手品師。手品を見せた後に言う台詞「この件について何かご質問はございませんか」は流行語にもなった。
- 3. 昭和33(1958)年ころ東京に出た時、JR線亀有駅の北口側にあった「芸能荘」と呼ばれるアパートで暮らしていた。
いとう せいこう (いとう せいこう)
作家
- 1. 昭和36(1961)年~
- 2. 昭和59(1984)年に早稲田大学卒業後、講談社へ入社した。編集者を経たのち、作家、クリエイターとして、活字・映像・音楽・舞台など多方面で活躍している。 著書に『ノーライフキング』、『ボタニカルライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)、『想像ラジオ』(第35回野間文芸新人賞受賞)などがある。
- 3. 葛飾区出身。平成26(2014)年には、葛飾区立図書館で浪曲師の国本武春とトークセッションを行った。
井上 靖 (いのうえ やすし)
小説家
- 1. 明治40(1907)~平成3(1991)年
- 2. 『風林火山』や『敦煌』など数多くの作品を発表しており、昭和24(1949)年に『闘牛』が芥川賞を受賞。 日本ペンクラブ会長時代にはノーベル文学賞の候補ともされていた。昭和51(1976)年に文化勲章を受章。
- 3. 昭和23(1948)年4月より1年間、葛飾区奥戸新町(現葛飾区奥戸)の妙法寺に下宿していた。
岩田 藤七 (いわた とうしち)
ガラス工芸家
- 1. 明治26(1893)~昭和55(1980)年
- 2. 色ガラスを素材として美術品を制作するガラス工芸家の日本におけるパイオニア。食器など実用品の素材とされていたガラスを活用し、日本的な造形美を追求した作品を発表し続けた。大正7(1918)年、東京美術学校(現東京藝術大学)金工科を卒業。同年、西洋画科に再入学し、大正12(1923)年に卒業した。卒業の頃からガラス工芸に興味を持ち始め、色ガラスの調合や製法を学んだ。昭和2(1927)年に独立し、南葛飾郡南綾瀬村(現堀切)に工房を構えた。昭和6(1931)年、同地に岩田硝子製作所を設立(後の岩田工芸硝子株式会社、平成12〔2000〕年閉鎖)して制作に取り組む。当初は色ガラスを使用して鉢・碗・壺などを制作し、昭和30年代以降は形や色彩のバリエーションに富む個性的な作品を発表した。また、壁面を色ガラスで飾る「コロラート」を生み出し、ガラスの近代建築への応用という新しい分野を開拓した。昭和45(1970)年には文化功労者の顕彰を受けた。
- 3. 現葛飾区堀切で制作活動。
岩田 久利 (いわた ひさとし)
ガラス工芸
- 1. 大正14(1925)年~平成6(1994)年
- 2. 父はガラス工芸家の岩田藤七。昭和23(1948)年に岩田硝子製作所に入社し、昭和28(1953)年に社長に就任した。昭和47(1972)年に日本ガラス工芸協会の会長となった。昭和54(1979)年には紺綬褒章を受章。平成6(1994)年に勲四等旭日小綬章を受章。
- 3. 葛飾区堀切にある岩田硝子製作所で働いていた。
いわま まりこ (いわま まりこ)
児童文学
作家
- 1. 昭和16(1941)年~
- 2. 昭和56(1981)年、『あまんじゃくがやってきた』でデビューした。昭和62(1987)年、『ネコがパンツをはいたなら』で第16回日本児童文芸家協会新人賞を受賞。 ちびねこトラノスケシリーズなど、子どもたちに親しみやすく楽しい児童文学作品を発表し続けている。
- 3. 平成2(1990)年より葛飾区在住。
内山 信二 (うちやま しんじ)
タレント
- 1. 昭和56(1981)年~
- 2. バラエティやグルメ番組、ドラマなどマルチに活躍するタレント。小学1年生から『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系列)に生徒役としてレギュラー出演し人気を得た。現在もテレビ、映画、CMに多数出演している。
- 3. 葛飾区出身。平成28(2016)年11月に葛飾区内の飲食店が集合して開催された「かつしかフードフェスタ2016」の3代目公式PR大使を務めた。
内山 勇士 (うちやま ゆうじ)
監督・脚本家
- 1. 昭和55(1980)年~
- 2. アニメ『アルツハイム』や『紙兎ロペ』を手掛けるアニメ監督・脚本家。『紙兎ロペ』は葛飾区を舞台にしたアニメで平成24(2012)年11月からフジテレビで放送されていたものの、平成25(2013)年6月に突然監督・脚本・声優すべてから離れることを発表した。その後、同年9月から同じく葛飾区を舞台に設定したアニメ『野良スコ』の監督・脚本を手がけている。
- 3. 祖母が葛飾区立石に住んでいるため、内山氏にとって葛飾は慣れ親しんだ場所であり、アニメの設定にも葛飾区が登場している。平成26(2014)年、『野良スコ』のメインキャラクターのコタローが、かつしかフードフェスタのPR大使として使用された。
大澤 豊 (おおさわ ゆたか)
映画監督
- 1. 昭和10(1935)年~
- 2. 国内外の映画賞を多数受賞している映画監督、プロデューサー。黒澤明監督、山本薩夫監督、勅使河原宏監督映画などの助監督として経験を積んだ後、昭和54(1979)年、『ガキ大将行進曲』で監督デビューした。昭和60(1985)年、戦時中の疎開学童を描いた『ボクちゃんの戦場』でベルリン国際映画祭児童映画部門三賞を受賞するなどした。独立プロで社会問題を取り上げた数多くの作品を制作・上映したことから、平成9(1997)年、日本映画ペンクラブ賞を受賞。また、平成12(2000)年、手話をテーマにした「アイ・ラブ・ユー」で日本アカデミー協会特別賞受賞、平成23(2011)年、「いのちの山河」で岩手県からいのちの灯文化賞を受賞した。
- 3. 葛飾区在住。
大貫 美奈子 (おおぬき みなこ)
元バレーボール選手
- 1. 昭和47年(1972年)
- 2. 東金町ビーバーズ→葛飾区立金町中学校→共栄学園高校(葛飾区お花茶屋)の1・2年時に春高バレー出場した。また、ワールドカップや世界選手権に全日本代表選手として出場した。平成20(2008)年、現役を引退した。
- 3. 葛飾区出身。
大野 義光
(吉川三男) (おおの よしみつ
(よしかわ みつお))
刀匠
- 1. 昭和23(1948)年~
- 2. 大学時代に刀剣に興味を持ち、吉原義人のもとで修業をおこなった。昭和57(1982)年に高松宮賞を受賞、昭和58(1983)年に文化庁長賞を受賞、昭和63(1988)年には新作名刀展無鑑査に認定された。平成8年正倉院御大刀謹作奉仕、平成24年に葛飾区指定無形文化財に指定された。伊勢神宮の式年遷宮61回(平成5〔1993〕年)と62回(平成25〔2013〕年)の御太刀謹作奉仕。
- 3. 葛飾区高砂にて吉原義人のもとで刀鍛冶の修業を行った。
大村 能章 (おおむら のうしょう)
作曲家
- 1. 明治26(1893)~昭和37(1962)年
- 2. 昭和初期を代表するヒットメーカーで、「旅傘道中」「同期の桜」などを作曲した。15歳で横須賀海兵団に入隊し海軍軍楽隊の一員となるが、父の死により故郷の山口県に帰郷した。大正15(1926)年、作曲家を志して再び上京した。昭和10(1935)年、「旅笠道中」が約40万枚を売る大ヒットとなった。この間、意欲的に若手歌手の育成に取り組み始めた。生涯で2万曲以上を作曲したといわれ、このうち約8千曲が世に出た。戦後は音楽の慈善公演や慰問公演を行なう「能章会」を設立した。
- 3. 現葛飾区東四つ木に在住していた。
岡本 眸
(おかもと ひとみ
)
俳人
- 1. 昭和3(1928)年~
- 2. 女流俳人の第一人者。昭和31(1956)年より投句を始め、昭和55(1980)年には俳誌「朝」を主宰した。「俳句は日記」を信条とする。平成6(1994)年に紫綬褒章を、平成11(1999)年には勲四等宝冠章を受章。
- 3. 昭和43(1968)年より葛飾区東金町に在住。
葛西 清重 (かさい きよしげ)
武士
- 1. 12世紀後半~13世前半
- 2. 鎌倉幕府の初代将軍となった源頼朝の重臣。平氏追討や現在の東北地方を支配していた奥州藤原氏攻めなどに参加した。奥州の治安維持に当たるなど重要な役割を担い、頼朝の死後も古くからの重臣として幕府を支え続けた。葛西氏は、武蔵国秩父郡(現埼玉県秩父郡を中心とした地域)を拠点とした平氏の流れをくむ一族である。治承4(1180)年頃、清重は父の豊島清元が治めていた葛西地域を継承し、地名の葛西を名字として豊島氏から独立した。12世紀後半頃、清重が葛西地域の一部を伊勢神宮に寄進したと考えられており、寄進された地域は伊勢神宮などの所領を表す「御厨」を付けて「葛西御厨」と呼ばれるようになった。鎌倉時代の葛西御厨は、伊勢神宮の所領を葛西氏が現地で支配する形であった。四つ木にある西光寺の墓地には、清重を葬ったと伝えられている墓が残っている。
- 3. 葛飾区域を含む中世の葛西地域の領主。
勝 承夫 (かつ よしお)
詩人
- 1. 明治35(1902)~昭和56(1981)年
- 2. 旧制中学時代から詩人として活躍し、宵島俊吉のペンネームで『白痴を誘って野に出て』などの作品を発表した。戦後は日本音楽著作権協会会長を務めた。また、葛飾区立道上小学校など、全国の小・中学校などの校歌を数多く作詞した。
- 3. 葛飾区立道上小学校など、区内の小・中・高校の校歌を作詞した。
勝間 和代 (かつま かずよ)
経済評論家
- 1. 昭和43(1968)年~
- 2. 経済評論家、中央大学ビジネススクール客員教授。当時最年少の19歳で会計士補の資格を取得し、慶應大学在学中から監査法人に勤務した。外資系のコンサルティング会社などを経て経済評論家として独立した。平成20(2008)年、第1回ベストマザー賞(経済部門)を受賞。翌年、世界経済フォーラム(ダボス会議)Young Global Leadersに選ばれた。著作も多い。
- 3. 葛飾区出身。葛飾区立住吉小学校卒業。平成21(2009)年、NHKの番組で母校の住吉小学校を訪問し、子どもたちに授業を行った。
©トゥモロウズ
亀田 興毅 (かめだ こうき)
元プロボクサー
- 1. 昭和61(1986)年~
- 2. ボクシングの「三兄弟世界王者」、「三兄弟同時世界王者」のギネス世界記録をもつ亀田三兄弟の長男。日本人初の世界3階級制覇を達成した。平成27(2015)年10月に引退した。
- 3. 平成20(2008)年に葛飾区お花茶屋に住み、民家を改築したジムで練習を重ねた。こうした縁から亀田兄弟葛飾後援会が組織された。
©トゥモロウズ
亀田 大毅 (かめだ だいき)
元プロボクサー
- 1. 平成元(1989)年~
- 2. ボクシングの「三兄弟世界王者」、「三兄弟同時世界王者」のギネス世界記録をもつ亀田三兄弟の次男。世界2階級制覇を達成した。左目網膜剥離のため、平成27(2015)年11月に引退した。
- 3. 平成20(2008)年に葛飾区お花茶屋に住み、民家を改築したジムで練習を重ねた。こうした縁から亀田兄弟葛飾後援会が組織された。
©トゥモロウズ
亀田 和毅 (かめだ ともき)
プロボクサー
- 1. 平成3(1991)年~
- 2. ボクシングの「三兄弟世界王者」、「三兄弟同時世界王者」のギネス世界記録をもつ亀田三兄弟の三男。平成19(2007)年よりメキシコを拠点として実践経験を積み、平成 25 ( 2013 )年 8月、日本人初の WBO 世界王者となる WBO 世界バンタム級王者となった。
- 3. 平成20(2008)年に葛飾区お花茶屋に住み、民家を改築したジムで練習を重ねた。こうした縁から亀田兄弟葛飾後援会が組織された。
加山 又造 (かやま またぞう)
日本画家
- 1. 昭和2(1927)年~平成16(2004)年
- 2. 昭和24(1949)年日本美術学校(現東京芸術大学美術学部)卒業後、葛飾区立四つ木中学校に週2日、美術の時間講師として勤務した。昭和41(1966)年から多摩美術大学日本画家教授、昭和62(1987)年に東京芸術大学美術学部教授に就任した。平成9(1997)年に文化功労者、平成15(2003)年には文化勲章を受章。
- 3. 葛飾区立四つ木中学校で美術講師を担当、平成3(1991)年に葛飾区文化会館大ホールの緞帳の原画「陽春」を制作した。
河瀬 秀治 (かわせ ひでじ)
官吏
- 1. 天保10(1839)~昭和3(1928)年
- 2. 幕末維新期は丹後国宮津藩(現京都府)の重臣、明治時代初期は政府の官吏(役人)、退官後は実業界など多方面で活躍し、地方行政、産業振興や日本美術の振興など幅広い分野で事績を残した。田辺藩の武家に生まれ、10歳で河瀬家の養子になり宮津藩に仕えた。明治時代に官吏となり、明治元(1868)〜明治4(1871)年まで武蔵知県事、小菅県権知事、小菅県知事を歴任して葛飾区域を管轄。県庁の役人を対象とした小菅県立仮学校を正覚寺(現小菅)に設置した他、一般有志や県庁の役人から資金や米を募って貯蓄しておき災害時に施す「報恩社法」を定めるなどした。「報恩社法」は一種の社会福祉事業であり、明治4(1871)年7月の風水害の際には救助米が施された。小菅県知事を退いた後は、明治14(1881)年まで官吏として地方行政や産業振興を担当した。
- 3. 葛飾区域を含む小菅県の県知事を務める。
川畑 要 (かわばた かなめ)
歌手
- 1. 昭和54(1979)年~
- 2. ボーカルデュオ「CHEMISTRY」の元メンバー。中学卒業後、建築現場で働いていたが、歌手を目指して様々なオーデションを受けた。テレビ番組のオーディション企画で2万人の応募者から選ばれ、「CHEMISTRY」を結成した。デビュー曲「PIECES OF A DREAM」は100万枚を売り上げる大ヒットとなった。現在はソロ活動を中心に活躍している。
- 3. 葛飾区亀有出身。葛飾区立亀有中学校卒業。デビュー前の歌の練習場所は亀有のカラオケ店であった。平成26(2014)年12月13日、亀有にて凱旋ライブが行われた際、「葛飾区親善大使」になることを快諾した。
北澤 一京 (きたざわ いっきょう)
江戸木彫刻
職人
- 1. 昭和15(1940)年~
- 2. 現代の江戸木彫を代表する彫刻師の一人。社寺建築の欄間、みこしや葬祭具などの「板彫り」を多く手掛ける。15歳で江戸木彫界の名工と言われた浅草の飯島米山のもとに弟子入りし、昭和42(1967)年に独立して葛飾区に工房を設立した。代表作に成田山新勝寺の獅子頭、富岡八幡宮のみこしの彫刻がある。
- 3. 葛飾区水元に工房である北澤木彫刻所を構えている。新小岩天祖神社のみこしの彫刻を手がけ、また平成5(1993)年の葛飾区産業フェアの伝統産業展には3日間で彫り上げたほぼ等身大のえびす様を出品した。平成5(1993)年に東京都伝統工芸士、平成10(1998)年度には葛飾区伝統工芸士に認定された。平成26(2014)年度には息子の北澤秀太も葛飾区伝統工芸士に認定された。
木村 礎 (きむら もとい)
歴史学者
- 1. 大正13(1924)~平成16(2004)年
- 2. 村落の景観と生活を歴史的に分析する日本村落史研究を提唱した歴史学者。明治大学では要職を歴任、昭和63(1988)から平成4(1992)年までは学長を務めた。定年後、明治大学名誉教授となった。
- 3. 昭和20(1945)年から葛飾区に在住した。昭和18(1943)年12月から昭和22(1947)年1月ころまで私立共栄女子商業学校(現共栄学園中学・高等学校)に教員として勤めた。葛飾区にかかわる著作のなかには、戦時中、共栄の女子学生を勤労動員に引率した体験などを綴った『少女たちの戦争』がある。
清田 敏雄 (きよた としお)
飾熊手職人
- 1. 大正13(1938)年~
- 2. 飾熊手を専門で作る職人であり、稲わらなどの材料も手作りしている。昭和26(1951)年、蓮根の仲買をする一方で浅草の酉の市で自分の店を持ち、以前から制作していた飾熊手を酉の市で売るようになった。
- 3. 南葛飾郡本田村(現葛飾区立石)出身。昭和26(1951)年、現葛飾区青戸の清田家に婿入りした。以降、青戸で飾熊手を制作し酉の市で販売している。平成5(1993)年度、葛飾区伝統工芸士に認定された。葛飾区郷土と天文の博物館のエントランスホールには、制作した全長4メートルの巨大飾熊手が展示されている。
栗本 薫(中島 梓) (くりもとかおる(なかじまあずさ))
小説家
エッセイスト
- 1. 昭和28(1953)~平成21(2009)年
- 2. 昭和52(1977)年、評論『文学の輪郭』でデビュー(第20回群像新人賞)。翌年には栗本薫名義による『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞を受賞。昭和56(1981)年『絃の聖域』で吉川英治文学新人賞を受賞。評論、SFやファンタジー、ミステリーや時代・伝奇小説など幅広い分野で栗本薫と中島梓というふたつのペンネームを使い分けながら、数々の著作を発表するした。代表作は『グイン・サーガ』や『魔界水滸伝』などがある。
- 3. 葛飾区青戸で生まれ育つ。昭和28(1953)年より昭和56(1981)年まで区内に在住。没後、直筆原稿、蔵書などを葛飾区に寄贈した。
小林 孝亘 (こばやし たかのぶ)
洋画家
- 1. 昭和35(1960)年~
- 2. 愛知県立芸術大学美術学部卒業。平成8(1996)年VOCA展奨励賞を受賞、また文化庁芸術家在外研修員として1年間タイのバンコクに滞在した。平成11(1999)年にはバンコクに移住し、さらに平成14(2002)年から平成24(2012)年までバンコクと葛飾区新小岩に居住し、創作活動を行う。武蔵野美術大学教授。
- 3. 平成14(2002)年から平成24(2012)年まで葛飾区新小岩に在住。
小林 秀雄 (こはやし ひでお)
作曲家
- 1. 昭和6(1931)年~
- 2. NHKの『みんなのうた』で放送され、多くの人びとに親しまれている歌の作曲・編曲を行った作曲家。「まっかな秋」の作曲や「大きな古時計」等を編曲した。東京芸術大学を卒業した後、NHK委嘱芸術祭参加作品ラジオ音楽劇・昭和34(1959)年「人形ガ呼ンデイル」昭和36(1961)年「マコ坊と特急」で其々同奨励賞を受賞。多くの歌曲・合唱曲を作曲し、中でも合唱曲「落葉松(からまつ)」は教科書にも掲載される。
- 3. 昭和25(1950)年より葛飾区に在住。昭和60(1985)年地元の合唱同好会「かつしかジョイフルハーモニー」が結成されて以降長く指導を行う、又、「葛飾区合唱連盟」設立に尽力し、長年顧問を務めた。平成16(2004)年葛飾区文化会館(かつしかシンフォニーヒルズ)を拠点に活動する「シンフォニーヒルズ少年少女合唱団」が創設された際には、合唱団の顧問を務めた。
小堀 進 (こぼり すすむ)
洋画家
- 1. 明治37(1904)~昭和50(1975)年
- 2. 水郷の風景や山、空、海を対象にして、水彩により広大な空間を独自の画法で描き出した画家。戦前より活躍し、昭和15(1940)年、同志8名で水彩連盟創立した。昭和45(1970)年、改組第1回日展出品「初秋」で日本藝術院賞を受賞。水彩画の地位向上と発展をもたらした功績により、昭和49(1974)年、水彩画家として初めて日本藝術院会員に選出された。翌年、勲三等瑞宝章を受章。
- 3. 昭和4(1929)年、南葛飾郡新宿町住吉(現葛飾区高砂)に転居して以後、戦時中の疎開した時期を除き40年余りを高砂で暮らした。平成5(1993)年、葛飾区文化会館(かつしかシンフォニーヒルズ)で葛飾にゆかりがある画家として展覧会が開催され、葛飾の風景を描いた水彩画4点も展示された。
小室 等 (こむろ ひとし)
フォークシンガー
- 1. 昭和18(1943)年~
- 2. ライブや楽曲提供など精力的に活動を行っているフォークシンガー。昭和43(1968)年、音楽ユニット「六文銭」を結成した。昭和46(1971)年、六文銭+上條恒彦が歌う「出発の歌」が第2回世界歌謡祭のグランプリとなった。昭和50(1975)年には泉谷しげる、井上陽水、吉田拓郎とフォーライフレコードを設立した。
- 3. 葛飾区堀切出身。
小宮 康助 (こみや こうすけ)
染色家(江戸小紋)
- 1. 明治15(1882)~昭和36(1961)年
- 2. 遠くからは無地に見えるほど細かい模様の反物である「江戸小紋」制作の第一人者。布地を染色する前、模様とする部分に防染のりを付ける「型付け」の名人の下で幼少の頃より修業し、明治40(1907)年に独立した。明治43(1910)年頃、化学染料を使用した「しごき染め」が実用化されると、いち早くこれを取り入れ、それまで染物屋が行っていた布地の染色も自ら行うようになった。大正12(1923)年、関東大震災で浅草にあった作業場が大きな被害を受けたことから、昭和4(1929)年、中川に近い南葛飾郡奥戸村(現西新小岩)に作業場を移転した。移転の理由は、田の泥水が流れ込んでいた用水路の水が利用しやすいためであった。以後、同地にて制作活動を続け、昭和30(1955)年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。なお、「江戸小紋」の名称は、認定の時に他の小紋と区別するために付けられたものである。
- 3. 葛飾区西新小岩在住、制作活動。
小宮 康孝 (こみや やすたか)
染色家(江戸小紋)
- 1. 大正14(1925)年~
- 2. 父の小宮康助が確立した「江戸小紋」の制作技法を継承・発展させた染色家。江戸小紋は、遠くからは無地に見えるほど細かい模様の反物である。微細で精緻な模様を手がけるとともに、自由な色彩で発色が鮮やかな色落ちのしにくい染め物を追求している。昭和4(1929)年、父の作業場の移転に伴い南葛飾郡奥戸村(現西新小岩)に移り住む。小学校6年生の夏休みに初めてヘラを持ち、卒業後に父のもとで小紋染の修業に入った。家業を受け継いだ後は染料の改良を行うとともに、古い型紙の収集や型紙職人との協力により江戸時代の模様を復元し、その保存と継承に熱心に取り組む。昭和53(1978)年、父に続いて親子2代で重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、後に紫綬褒章、勲四等旭日小綬章を受章した。父から受け継いだ技術に改良を加えて洗練させ、さらにその技術を後継者へと伝えている。名誉区民。
- 3. 葛飾区西新小岩在住、制作活動
早乙女 勝元 (さおとめ かつもと)
作家
- 1. 昭和7(1932)年~
- 2. 昭和27(1952)年に第一作の『下町の故郷』が20歳で刊行された。昭和46(1971)年、12歳の時に経験した東京大空襲を題材としたルポルタージュ『東京大空襲』がベストセラーとなり、日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。平成14(2002)年、民立民営の東京大空襲・戦災資料センターの館長に就任する。
- 3. 山田洋次監督と旧知の仲であり、氏に紹介したことから『男はつらいよ』のロケ地が柴又になった。昭和32(1957)年~昭和48(1973)年まで葛飾区に在住していた。
さだ まさし (さだ まさし)
歌手・小説家
- 1. 昭和27(1952)年~
- 2. 昭和47(1972)年、フォークデュオ“グレープ”として「雪の朝」でデビューした。翌年に発表した「精霊流し」はレコード大賞作詞賞を受賞。平成13(2001)年には、自伝的小説『精霊流し』がベストセラーになる。その後に発表した『解夏』や『眉山』もベストセラーとなり、いずれも映画化された。平成27(2015)年、「一般財団法人 風に立つライオン基金」を設立、国内外で奉仕活動や慈善活動をしている個人や団体を支援したり、大災害が起きた際などに支援活動をするための組織作りを行っている。
- 3. 小学校卒業後、ヴァイオリン修業のために単身上京。昭和40(1965)年より昭和42(1967)年まで葛飾区に在住していた。
佐藤 安太 (さとう やすた)
玩具製造
・販売
- 1. 大正13(1924)年~
- 2. 葛飾区立石に本社がある株式会社タカラトミーの前身である、株式会社タカラの創業者。「ダッコちゃん」や「チョロQ」などのヒット商品を次々と開発したことから“おもちゃの王様”と呼ばれた。昭和61(1986)年に黄綬褒章、平成7(1995)年には勲四等旭日小綬章を受章。平成13(2001)年にタカラ会長を退任した。
- 3. 昭和30(1955)年、現葛飾区宝町にタカラの前身である有限会社佐藤ビニール工業所を設立した。当初は玩具専門の企業ではなく、さまざまなビニール製品を加工していた。業績が上向いてきたため、昭和34(1959)年、株式会社佐藤ビニール工業所に改組し、現葛飾区青戸に社屋を移転した。昭和35(1960)年、ビニール製の人形「ダッコちゃん」が大ヒットした。数度の社名変更の後、昭和41(1966)年、株式会社タカラとした。
(撮影者 トム岸田)
三代目 吉原 國家
(吉原 荘二) (さんだいめよしわら くにいえ (よしわら しょうじ))
刀匠
- 1. 昭和20 (1945)年~
- 2. 都立向島工業高校機械科卒業後、祖父である初代國家の下で本格的に刀鍛冶の修業をはじめ、昭和40(1965)年に文化庁から作刀承認を受けた。昭和57(1982)年に新作名刀展無鑑査に認定され、三代目國家を襲名した。平成15(2003)年、映画「ラストサムライ」に刀鍛冶として出演した。平成10(1998)年に葛飾区指定無形文化財に指定、平成20(2008)年には東京都指定無形文化財に指定された。
- 3. 葛飾区西水元に刀鍛錬所を構える。葛飾区指定無形文化財。
三遊亭 遊三 (さんゆうてい ゆうざ)
落語家
- 1. 昭和13(1938)年~
- 2. 基本に忠実な古典落語の正道を歩み続けている落語家。昭和39(1964)年、26歳の時、10人抜きで真打ちに昇進し、落語芸術協会の理事長も務めた。昭和59(1984)年度文化庁芸術祭の優秀賞を受賞。
- 3. 葛飾区新小岩に在往歴がある。
芝木 好子 (しばき よしこ)
小説家
- 1. 大正3(1914)~平成3(1991)年
- 2. 昭和17(1942)年、『青果の市』で第14回芥川賞を受賞。自伝三部作と呼ばれる『湯葉』『隅田川』『丸の内八号館』の 3作品のほか、昭和59(1984)年に日本文学大賞を受賞した『隅田川暮色』など数多くの作品を発表した。平成元(1989)年に文化功労者に選出された。
- 3. 葛飾区水元公園の界隈を舞台とした小説『葛飾の女』を執筆した。都立水元公園には『葛飾の女』の一節を刻んだ文学碑がある。
清水 幸太郎 (しみず こうたろう)
染織家(長板中形)
- 1. 明治30(1897)~昭和63(1988)年
- 2. 長板中形の第一人者。「長板」は模様とする部分に防染のりを付ける「型付け」で使用する約7mの板のことで、「中形」は小紋より少し大きめの模様という意味。小学校卒業後、父の下で長板中形の型付けを修業した。昭和3(1928)年、父の作業場の移転に伴って南葛飾郡本田町(現四つ木)に移り住み、昭和11(1936)年に家業を継いだ。昭和初期から布地の大量生産が可能となり仕事は減ったが、手間のかかる長板中形を制作し続けた。昭和30(1955)年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。寸分の狂いもなく型紙を置き、布地の表と裏が同じ模様になるようのりを付ける技は高く評価された。没年まで長板中形の保存に情熱を燃やし、葛飾の地で制作を続けた。
- 3. 葛飾区四つ木在住、制作活動。
杉野 行雄 (すぎの ゆきお)
ゴム製造業
- 1. 昭和24(1949)年~
- 2. 株式会社杉野ゴム化学工業所(葛飾区白鳥)の社長。平成25(2013)年11月末、日本海溝の7,800m地点において、3Dハイビジョンカメラによる深海生物の撮影に世界で初めて成功した無人海底探査機「江戸っ子1号」の発案者であり、プロジェクトをリードした。同プロジェクトは、共同した参加者・機関とともに平成26(2014)年度産学官連携功労者表彰内閣総理大臣賞を受賞。
- 3. 杉野ゴム化学工業所の製品「ラバー君」(熱を加えるとゴムになる粘土)、「間仕切りUFO」(災害時の避難所で使用する間仕切り板の支えとなるゴム製の土台)は、優れた技術などによる製品として葛飾ブランド「葛飾町工場物語」に認定された(平成21[2009]年度・平成25[2013]年度)。平成26(2014)年には環境保護に取り組む「葛飾の川をきれいにする会」の依頼を受け、江戸っ子1号の開発で培った技術をもとに川底探索カメラ「葛飾っ子1号」の開発に関わり、葛飾区の助成を受け、水深1000mを探査する深海探査機「ド・ボーン 1000」を開発し市販化を目指している。
瀬川 拓男 (せがわ たくお)
人形作家
- 1. 昭和4(1929)~昭和50(1975)年
- 2. 劇団太郎座主宰者、作家、民話研究家。人形劇の脚本・演出を手掛け、妻であった作家・松谷みよ子作『龍の子太郎』の人形劇を全国で上演、NHK教育テレビでも多くの作品が人形劇として放映された。昭和30年頃には初めて採訪という形で夫婦が各地に赴き、昔話を再話、『信濃の民話』『秋田の民話』纏め上げた。
- 3. 昭和29(1954)年、葛飾区金町で曽根喜一や白土三平ら仲間と共同生活を始めた。昭和30(1955)年、区内金町にて「劇団太郎座」を立ち上げた。
(株式会社光文社「女性自身」編集部カメラマン永田理恵)
曽野 綾子 (その あやこ)
作家
- 1. 昭和6(1931)年~
- 2. 昭和29(1954)年に中編小説『遠来の客たち』が芥川賞候補となり、有吉佐和子らとともに才女時代と呼ばれる一時代を画した。以後、多くの小説・随筆を執筆する一方、途上国への援助活動など幅広く活躍。平成5(1993)年に日本芸術院会員、平成7(1995)年~平成17(2005)年日本財団会長を勤め、平成21(2009)年には日本郵政株式会社社長取締役に就任し平成25(2013)年に退任した。平成15(2003)年、文化功労者。
- 3. 昭和6(1931)年、南葛飾郡本田町(現葛飾区四つ木、東四つ木、立石)出身。3歳になるまで葛飾区で暮らした。
大道 健二 (だいどう けんじ)
元大相撲力士
- 1. 昭和57(1982)年~
- 2. 現役時代は右四つ・寄りを得意技とした大相撲の元力士。小学校4年生で相撲を始めた。専修大学卒業後の平成17(2005)年、阿武松部屋に入門し、同年3月場所で初土俵を踏んだ。後に序ノ口、序二段で優勝し、平成23(2011)年7月場所で初入幕した。平成28(2016)年に引退後、年寄・小野川を襲名して阿武松部屋で若手の育成に当たる。
- 3. 葛飾区立大道中学校卒業。“大道”という四股名もここからつけたという。
髙橋 尚成
(たかはし ひさのり)
元プロ野球選手
- 1. 昭和50(1975)年~
- 2. メジャーリーグでも登板した元プロ野球選手。修徳高校から駒沢大学、東芝に所属したのち、読売ジャイアンツに入団した。平成22(2010)年からは渡米し、マイナーリーグを経てメジャーリーグで登板した。平成27(2015)年に現役を引退した。
- 3. 葛飾区青戸にある修徳高等学校卒業。
(撮影/石川耕三)
高橋 陽一 (たかはし よういち)
漫画家
- 1. 昭和35(1960)年~
- 2. デビュー作の『キャプテン翼』はアニメ化もされるなど、日本のサッカーブームの火付け役となった。Jリーガーなど日本のサッカー選手のみならず、海外の有名サッカー選手にも多くの影響を与えている。
- 3. 葛飾区四つ木出身。平成14(2002)年まで立石に在住。都立南葛飾高校出身で、キャプテン翼に出てくる「南葛市」や「南葛SC」などの名称の元となった。平成24(2012)年、葛飾区は『キャプテン翼』のイラストをふるさとナンバープレートとして使用した。
武井 壮 (たけい そう)
タレント
- 1. 昭和48(1973)年~
- 2. 陸上競技・十種競技の元日本チャンピオンのタレント。肉体派のアスリートタレントとして活動し、“百獣の王”を目指している。
- 3. 葛飾区お花茶屋で生まれ、その後、区内の青戸、亀有へ引っ越した。高校卒業まで葛飾区内で過ごした。青戸にある修徳学園修徳中学校・高等学校卒業。
(写真提供・日本棋院)
武宮 正樹 (たけみや まさき)
囲碁棋士
- 1. 昭和26(1951)年~
- 2. 「宇宙流」と呼ばれる独特の棋風をもつ囲碁棋士。国内で数々のタイトルを獲得した後、昭和63(1988)、平成元(1989)年と世界選手権2連覇を果たし、世界的な名声を得た。平成18(2006)年、通算1000勝を達成した。
- 3. 現葛飾区新小岩の開業医の家に生まれた。囲碁好きの父親の勧めによって8歳から囲碁を始め、13歳でプロ棋士となった。
(「写真提供 田山花袋記念文学館)
田山 花袋 (たやま かたい)
小説家
- 1. 明治4(1871)~昭和5(1930)年
- 2. 尾崎紅葉を訪れ、紹介された江見水蔭のもとで小説を書き始めた。後に民俗学者の柳田國男らと交流を持った。自然主義派の代表的作家であり、代表作に『蒲団』や『田舎教師』などがある。明治30年(1897)年、国木田独歩・柳田國男らと『抒情詩』を刊行した。
- 3. 葛飾を取り上げた紀行文がある。
(『つげ義春 夢と旅の世界』(新潮社)より)
つげ 義春 (つげ よしはる)
漫画家
- 1. 昭和12(1937)年~
- 2. 昭和29(1954)年、17歳の時に『痛快ブック』で漫画家デビューを果たした。43(1968)年、『ガロ』に発表した「ねじ式」は大きな反響を呼び、若者の間に〝つげブーム″が起こった。平成29(2017)年には、日本漫画家協会賞大賞を受賞。
- 3. 伊豆大島出身。昭和18(1943)年に葛飾区奥戸へ転入し、昭和25(1950)年、葛飾区立本田小学校を卒業。昭和32(1957)年まで葛飾区に住む。
鶴見 俊輔 (つるみ しゅんすけ)
思想家
- 1. 大正11(1922)~平成25(2015)年
- 2. 戦後日本を代表する思想家。アメリカのハーバード大学哲学科卒業。昭和21年(1946)、丸山真男などとともに雑誌『思想の科学』を創刊し、欧米思想、とりわけプラグマティズムと論理実証主義を紹介した。京都大学人文科学研究所助教授、東京工業大学助教授、同志社大教授を経たのち、在野の哲学者として過ごした。
- 3. 昭和20年代半ば~昭和36(1961)年ごろまで、現葛飾区金町の掛川恭子(児童文学者)の実家に下宿していた。
出口 正子 (でぐち まさこ)
オペラ歌手
- 1. 昭和25(1955)年~
- 2. 18世紀のイタリアのオペラで開拓されたベルカント唱法を会得している数少ない日本人ソプラノ歌手。イタリア人からも支持を得ている。東京藝術大学大学院修了後、イタリアミラノのスカラ座研修所で研鑽を積んだ。イタリアのほか、フランス、オランダ、アメリカ各地で活躍している。昭和63(1988)年度芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。
- 3. 葛飾区出身・在住。
豊嶋 訓三 (てしま くんぞう)
能楽師
- 1. 昭和6(1931)~平成26(2014)年
- 2. 金剛流のシテ方を務めた能楽師。重要無形文化財保持者(人間国宝)の豊嶋弥左衛門の長男(養嗣子)。父及び初世・二世金剛巌に師事した。昭和12(1937)年に初舞台を踏み、平成25(1950)年、『敦盛』で初シテを務めた。日本能楽会の会員であったことから、重要無形文化財保持者の総合認定を受けた。
- 3. 葛飾区細田に在住していた。葛飾区亀有文化ホール(かめありリリオホール)のオープニングイベントで薪能『乱』を演じた。
トーマス・J・ウォートルス (とーます・J・うぉーとるす)
建築技師
- 1. 天保13(1842)~明治31(1898)年
- 2. アイルランド生まれのイギリス人建築技師。元治元(1864)年頃来日し、薩摩藩の砂糖工場の建設や灯台の設計に当たった。明治元(1868)年、明治政府に雇われてから明治8(1875)年に日本を去るまで、大阪の造幣寮工場など様々な建築の設計・指導を行う。明治5(1872)年、火災によって焼失した銀座の一帯を、レンガを使用した燃えにくいヨーロッパ式の街にする計画が立てられ、建設の責任者となった。この銀座煉瓦街で使用するレンガを確保するため、小菅村にあったレンガ工場(現小菅の東京拘置所)に赴き、指導を行う。この結果、西洋式の窯(日本初のホフマン窯)3基が設置され、質の良いレンガの大量生産が可能となった。銀座煉瓦街は当初の計画より縮小されたものの、小菅で製造されたレンガなどで建設された。なお、大正12(1923)年の関東大震災によって銀座煉瓦街は失われている。ウォートルスがもたらした西洋技術によるレンガ造りは、「葛飾の文明開化」の象徴であった。
- 3. 現葛飾区小菅でレンガ造りを指導。
写真撮影:昭和14年
写真提供:三好明
豊田 正子 (とよた まさこ)
小説家
- 1. 大正11(1922)~平成22(2010)年
- 2. 昭和12(1937)年に刊行されて大きな反響を呼んだ『綴方教室』の著者。同書は小学生の時に書いた綴方(作文)をまとめたもので、ブリキ職人であった豊田一家の生活を日常語で活写しており、後に舞台や映画になり続編も刊行された。戦後も執筆活動を続け、昭和61(1986)年には女優である田村秋子の晩年を描いた『花の別れ』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
- 3. 昭和6(1931)年、現在の葛飾区東四つ木に一家で転入、正子は現在のよつぎ小学校に転校した。学区域の変更で現在の本田小学校に転入すると、担任の大木顕一郎から熱心な綴方の指導を受けた。小学校卒業後は日本製紐四ツ木工場に勤務した。
内藤 大助 (ないとう
だいすけ
)
元プロボクサー
- 1. 昭和49(1974)年~
- 2. 世界タイトルを獲得した元ボクシング選手。高校卒業後、就職のため上京した。19歳でボクシングを始め平成8(1996)年にプロデビューし、平成19(2007)年にはWBC世界フライ級チャンピオンの座を勝ち取った。引退後もテレビ出演などで活躍している。
- 3. 葛飾区立石にある宮田ジムに所属してボクシングの練習に励んだ。
永井 荷風 (ながい かふう)
作家
- 1. 明治12(1879)~昭和34(1959)年
- 2. 耽美派を代表する小説家。代表作は『濹東綺譚』『あめりか物語』『日和下駄』など。昭和27(1952)年に文化勲章を受章。
- 3. 大正末期から昭和30(1955)年代前半にかけて葛飾各地を来訪。『放水路』では荒川、『葛飾情話』では四つ木、『老人』では立石を取り上げている。また、日記文学『断腸亭日乗』では葛飾区内各所が登場する。
中島 唱子 (なかじま しょうこ)
女優
- 1. 昭和41(1966)年~
- 2. 独特なキャラクターでテレビ、映画、舞台で活躍する女優。昭和58(1983)年、テレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』(TBS系列)でデビューした。平成7(1995)年、ダイエットを通して自らの体と心について綴ったフォト&エッセイ集『脂肪』を出版した。同年12月より1年間、文化庁派遣芸術家在外研修員としてニューヨークに留学し、以後、日本とニューヨークを行き来しながら活躍している。
- 3. 葛飾区柴又出身。柴又を舞台にした映画『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』(昭和60[1985]年公開)にも出演していた。
中野 藤助 (なかの とうすけ)
農家
- 1. 天保14(1843)~大正5(1916)年
- 2. 明治時代、秋に種をまいて翌年の春に収穫するキャベツの品種「中野甘藍」を開発した。西洋の農作物を育てるため明治政府が設置した三田育種場(現港区)を訪れたことから西洋野菜に興味を持ち、明治15(1882)年頃から自宅周辺で西洋野菜の試作を行う。特にキャベツに注目して種子を取り寄せ、多数の品種を試作した。明治時代半ばになるとキャベツの需要が急増し、初夏になるとキャベツが品不足となった。このため息子とともに春に収穫できる品種の研究を進め、育成に成功した。この品種は南葛飾郡金町村(現金町)にあった東京府農事試験場分場で優良品種と認められ、「中野甘藍」と名付けられた。中野甘藍は広く普及し、明治時代末には南葛飾郡内の町村で栽培されていた。息子、孫へと受け継がれた中野家3代の品種改良によって、涼しい気候を好むキャベツは暖かい地域でも栽培できるようになり、全国に広まっていった。
- 3. 現葛飾区細田出身、在住、同地でキャベツの新品種を開発。
中村 是好 (なかむら ぜこう)
喜劇俳優
盆栽家
- 1. 明治33(1900)~平成元(1989)年
- 2. 戦前から舞台や映画で活躍した喜劇俳優。昭和4(1929)年に友人の榎本健一(「エノケン」)が創設した劇団「カジノフォーリー」に参加した。以後、エノケンの一座が出演する東宝の映画と舞台で活躍した。昭和22(1947)年、黒澤明監督の映画『素晴らしき日曜日』に出演した後にフリーとなり、引き続き多くの映画に出演した。盆栽の愛好家としても知られた。
- 3. 葛飾区堀切に在住していた。
なぎら 健壱 (なぎら けんいち)
シンガーソングライター
タレント
- 1. 昭和27(1952)年~
- 2. シンガーソングライターであるが、独特のキャラクターでテレビ出演や執筆などでも活躍している。昭和45(1970)全日本フォークジャンボリー公演でデビューした。近年は、下町への愛情から下町を取り上げた番組や出版物が多い。平成21(2009)年、第25回浅草芸能大賞奨励賞を受賞。
- 3. 8歳の時、現葛飾区新宿に転居して20歳まで住んだ。葛飾区立末広小学校、区立金町中学校卒業。昭和48(1973)年、アルバム『葛飾にバッタを見た』をリリースした。葛飾区立石で飲み屋を経営していたこともある。
倍賞 千恵子 (ばいしょう ちえこ)
女優 歌手
- 1. 昭和16(1941)年~
- 2. 映画『男はつらいよ』において主人公である車寅次郎の妹・さくらを演じた女優。松竹音楽舞踊学校を首席で卒業後、松竹歌劇団(SKD)へ入団。昭和36(1961)年、松竹にスカウトされて映画デビュー、翌年には歌手デビューを果たす。『遙かなる山の呼び声』『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』での第4回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(昭和56〔1981〕年)をはじめ、多くの映画賞を受賞。この他、アニメ映画の声優、ミュージカルやテレビCMへの出演、執筆活動など幅広く活躍している。平成17(2005)年に紫綬褒章、平成25(2013)年には芸術文化の功労者として旭日小綬章を受章した。「柴又は私にとって故郷であり、役者としての原点」と語っている。また、平成27年(2015)11月、『男はつらいよ』のロケ地 12 地域が柴又に集結して開催された「寅さんサミット」ではトークセッションに参加するなど、柴又の魅力を発信し続けている。
- 3. 葛飾区柴又を舞台にした映画『男はつらいよ』に出演。
早川 勇夫 (はやかわ いさお)
医薬品開発者
- 1. 昭和18(1943)年~
- 2. 世界の感染症治療に使用されている医薬品の発明者。東京大学薬学系大学院修士課程修了の後、第一製薬株式会社(現第一三共株式会社)に入社した。昭和54(1979)年、種々の病原菌に経口で有効な合成抗菌薬「タリビット」を開発、昭和61(1986)年にはより安全性と抗菌力を高め経口、注射薬として広く使われている「クラビット」を開発した。更に平成20(2008)年には耐性菌にも有効な「グレースビット」を開発した。これらの業績により、文部科学大臣賞、有機合成化学協会賞、大河内賞、創薬科学賞、平成14(2002)年には紫綬褒章を受章。
- 3. 現葛飾区柴又に在住歴がある(出身)。
(資料提供先、所蔵先「新宿歴史博物館」)
林 芙美子 (はやし ふみこ)
作家
- 1. 明治36(1903)~昭和26(1951)年
- 2. 昭和5年に発表した『放浪記』で一躍有名作家となった。戦中は、従軍作家として戦地に赴いた。戦後は、激動の時代の中で、運命に翻弄されながらもたくましく生きる庶民の姿を描き続けた。昭和23(1948)年の女流文学賞を受賞。その他代表作に『めし』『浮雲』などがある。
- 3. 小説『下町』に葛飾区役所や葛飾区四つ木などが登場する。
半村 良 (はんむら りょう)
小説家
- 1. 昭和8(1933)~平成14(2002)年
- 2. 昭和37(1962)年、広告代理店勤務時代に短編小説『収穫』でハヤカワSFコンテストに入選した。以後、SF作家の道を歩み、昭和46(1971)年に発表した作品『石の血脈』によって伝奇ロマンや伝奇SF小説と呼ばれるジャンルを開拓した。昭和50(1975)年に直木賞を受賞。
- 3. 葛飾区本田原町(現葛飾区東立石)出身。その後、宿町4丁目(現葛飾区柴又)へ転居した。
ビートたけし (びーとたけし)
タレント
映画監督
俳優
- 1. 昭和22(1947)年~
- 2. 人気コメディアンであるとともに、世界的に評価の高い映画監督。昭和48(1973)年、ビートきよしと漫才コンビ「ツービート」を結成した。毒舌とブラックユーモアで人気を博した。昭和58(1983)年からは俳優や著作活動も始めた。一方、映画監督としても活躍。平成9(1997)年、第54回ベネチア国際映画祭で『HANA-BI』が日本人作品としては3人目となるグランプリ(金獅子賞)を受賞。
- 3. 昭和53(1978)年に結婚した後、数年間、現葛飾区亀有のアパートに在住していた。生活は苦しく、妻の実家から仕送りを受けていたという。
平櫛 田中 (ひらくし でんちゅう)
彫刻家
- 1. 明治5(1872)~昭和54(1979)年
- 2. 107歳の生涯を現役で貫いた、日本近代木彫界の巨匠。小間物問屋の奉公に出ていた大阪で木彫の手ほどきを受けたことがきっかけとなり、彫刻の世界に入った。明治30(1897)年に上京した後は、名だたる彫刻家の仕事を見ながら独学で学ぶ。昭和初期以降は、形の単純化と彩色を施すことによって木彫の新境地を切り拓いた。昭和14(1939)年、上野にあった材木置き場を明け渡し、葛飾区本田宝木塚町(現宝町)に材木置き場とアトリエを新設した。 この後約30年間、上野から葛飾へ通い、日本の近代木彫の最高傑作と称賛される「鏡獅子」(昭和 33〔1958〕年)をはじめ多くの名作を生み出した。昭和37(1962)年には文化勲章を受章。昭和45(1970)年に東京都小平市へ住居とアトリエを移したため葛飾を訪れる機会はなくなったが、葛飾のアトリエは没後に取り壊されるまで弟子の作業場として活用された。
- 3. 現葛飾区宝町で制作活動。
平松 保城 (ひらまつ やすき)
金属工芸家(ジュエリークラフト)
- 1. 大正15(1926)年~平成24(2012)
- 2. 日本の彫金の伝統を現代的感覚とらえ直し、リングやブローチ、器などを制作する工芸家。東京美術学校(現東京藝術大学)工芸科彫金部卒業。平成6(1994)年、ドイツのジュエリーアート協会からヨーロッパ以外で初の「名誉のゴールド・リング」を授与された。制作活動のみならず若手の育成などにも力を入れており、国内でも多くの賞を受賞した。
- 3. 葛飾区在住。葛飾区文化会館(かつしかシンフォニーヒルズ)に作品「萌」が展示されている。
平山 ユージ (ひらやま ゆーじ
)
フリークライマー
- 1. 昭和44(1969)年~
- 2. 世界的なフリークライマー。中学時代に山登りに熱中し、都立航空工業高等専門学校入学後にフリークライミングに出会い、在学中より国内外の競技会に出場した。20歳でプロのフリークライマーとなった。昭和63(1988)年、国際大会デビューし、平成10(1998)年、平成12(2000)年にはワールドカップで総合優勝した。
- 3. 葛飾区四つ木でおもちゃ関連のプレス業を営む両親のもとに生まれ、区内の四ツ木で育った。葛飾区立宝木塚小学校、区立大道中学校を卒業。平成28(2016)年には母校の大道中学校で講演を行った。
晝間 弘 (ひるま ひろし)
彫刻家
- 1. 大正5(1916)~昭和59(1984)年
- 2. 人体像を中心に、写実的で動きのあるダイナミックな作品を制作した彫刻家。東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科卒業。在学中の昭和14(1939)年、第3回新文展で初入選し、以後、さまざまな賞を受賞。軍隊生活を送った後、昭和22(1947)年以降、日本美術展覧会(「日展」)で受賞を重ね、日展審査員、日展理事などを歴任した。昭和55年(1980)年には日本藝術院会員、日展常務理事となった。
- 3. 南葛飾郡金町村(現葛飾区柴又金町)出身。葛飾区役所正面玄関前の像「躍進」など区内に作品が置かれている。
福岡 政行 (ふくおか まさゆき)
政治学者
- 1. 昭和20(1945)年~
- 2. 常に現場に足を運び、生の情報を収集分析することによって精度の高い選挙・政局を予想する政治学者。“歩く政治学者”を自認している。県立広島大学客員教授、東北福祉大学特任教授。また、長年にわたり積極的にボランティア活動に関わり、活動団体「アシスト(ジャパン)の会」の事務局長を務めている。
- 3. 葛飾区出身。葛飾区亀有にある都立葛飾野高等学校卒業。
福田 千惠 (ふくだ せんけい)
日本画家
- 1. 昭和 21(1946)年~
- 2. 人物から風景まで幅広い対象を描き、その作品が高く評価されている日本画家。葛飾区立川端小学校卒業。武蔵野美術大学で日本画を学ぶ傍ら佐藤太清(文化勲章受章者)に師事する。大学を卒業した昭和44(1969)年、日本美術展覧会(日展)などに入選した。平成14(2002)年、サウジアラビア皇太子(後に国王)に委嘱され、初代国王アブドルアジーズ・イヴン=サウード「偉」を制作。平成18(2006)年、「ピアニスト」で日本藝術院賞を受賞し、平成21(2009)年には日本藝術院会員に選出された。日本画の世界発信にも尽力している。葛飾区文化会館に開館当初より展示されていた「蘭(月光)」は、葛飾区の友好都市オーストリア・ウィーン市フロリズドルフ区の区制100周年記念として贈呈され、両区の友好の架け橋となっている。また、柴又にある山本亭のふすま絵「花菖蒲」を制作するなど区内各所で作品を目にすることができる。名誉区民。
- 3. 葛飾区東立石出身、在住、制作活動
藤田 喬平 (ふじた きょうへい)
ガラス工芸家
- 1. 大正10(1921)~平成16(2004)年
- 2. 国内外の展覧会への出品とともに、日本ガラス工芸協会会長を務めるなど多方面から日本のガラスアートをけん引した。昭和19(1944)年、東京美術学校(現東京藝術大学)工芸科彫金部を卒業後、ガラス工芸家を志す。昭和22(1947)年、現代ガラス工芸の第一人者で遠縁に当たる岩田藤七が葛飾に設立した岩田硝子製作所に入社。しかし、ガラス工芸家を目指していたため、昭和24(1949)年に退社して独立。三和特殊硝子(現宝町)の工場を時間単位で借りて制作活動を始めた。独立した当初は生活が苦しく、工芸品を制作する一方、収入を得るため実用品のコップや花瓶を作り自ら行商に出ていた。この後、作家としての評価を飛躍的に高めた「虹彩」(昭和39〔1964〕年)、代表作となる飾筥シリーズの最初の作品「菖蒲」(昭和48〔1973〕年)を葛飾の地で制作した。晩年まで作品を作り続け、平成14(2002)年、ガラス工芸家として初の文化勲章を受章した。
- 3. 現葛飾区宝町で制作活動。
二葉 百合子 (ふたば ゆりこ)
浪曲師
歌手
- 1. 昭和6(1931)年~
- 2. 明治の文芸もの、股旅もの、母ものを得意とする浪曲師・歌手。浪曲師として注目された後、昭和31(1956)年には歌手デビューした。昭和49(1974)年に浪曲でカバーした「岩壁の母」が大ヒットした。この他の代表曲に「九段の母」「関東一本〆」などがある。平成23(2011)年、芸能界を引退した。平成18(2006)年、旭日小綬章を受章。
- 3. 葛飾区堀切出身。
細江 英公 (ほそえ えいこう)
写真家
- 1. 昭和8(1933)年~
- 2. 人間の肉体と精神、生と死を一貫したテーマとする、国内外で活躍する写真家。昭和14(1939)年、葛飾区本田渋江町(現東四つ木)に転居。同年、父が四つ木白髭神社の管理人となり、同地に転居する。富士フォトコンテストでの学生の部最高賞受賞を契機に写真家を志した。東京写真短期大学(現東京工芸大学)卒業後は多くの斬新な作品を発表。昭和32(1957)年、葛飾区砂原町(現西亀有)に転居し、昭和39(1964)年まで同地で暮らした。作家の三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』は、葛飾在住時の昭和38(1963)年に発表された写真集で世界的に高く評価されている。昭和45(1970)年、写真集『鎌鼬』で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。平成15(2003)年、世界を代表する写真家7人の1人として英国王立写真協会創立150周年特別賞を受賞し、平成19(2007)年には旭日小綬章を受章した。平成22(2010)年には文化功労者の顕彰を受けた。
- 3. 現葛飾区東四つ木、四つ木、西亀有に在住歴。
穂高 健一 (ほだか けんいち)
作家・ジャーナリスト
- 1. 昭和18(1943)年~
- 2. 20代から小説を書きはじめ、『千年杉』で第42回地上文学賞を受賞、『潮流』で第7回いさり火文学賞を受賞。ジャーナリストや登山家としても活躍している。自身のwebサイトにて「かつしかPRクラブ」を運営している。
- 3. 葛飾区在住。かつしか区民大学では区民記者講座の講師を務めた。
堀川 真理 (ほりかわ まり)
バレーボール選手
- 1. 平成4(1992)年~
- 2. 全日本代表にも選ばれているバレーボール選手。 平成19(2007)年、JOC杯ではエースとしてJOC・JVAカップ賞を受賞。翌年アジアユース選手権では最高殊勲選手に選ばれた。平成21(2009)年、世界ユース選手権ではベストスパイカーに選ばれ、日本の5位入賞に貢献した。現在、Vプレミアリーグの東レ・アローズに所属している。
- 3. 葛飾区出身。区内お花茶屋にある共栄学園中学・高等学校卒業。
槇村 さとる (まきむら さとる)
漫画家
- 1. 昭和31(1956)年~
- 2. 昭和49(1974)年、『別冊マーガレット』に掲載された「白い記憶」でデビューした。以来、『おいしい関係』や『イマジン』がテレビドラマ化されるなど、現代女性を等身大の姿で描き出し、多くのファンを魅了し続けている。平成20(2008)年、『Real Clothes』が第12回文化庁メディア芸術祭マンガ部門最優秀賞を受賞。
- 3. 葛飾区亀有で生まれ育った。
益子 直美 (ますこ なおみ)
タレント
スポーツコメンテーター
元バレーボール選手
- 1. 昭和41(1966)年~
- 2. 元バレーボール選手で現在はタレントとして活躍している。中学時代からバレーボールを始め、高校時代は共栄学園のエースとして活躍し、高校3年生の秋に全日本代表選手になった。平成2(1992)年にイトーヨーカドー女子バレーボール部員として日本一に輝いた。平成4(1992)年に現役引退し、現在は、スポーツ番組など様々なメディアで活躍中である。
- 3. 葛飾区金町出身。葛飾区立金町中学校、区内お花茶屋にある共栄学園高等学校卒業。
松谷 みよ子 (まつたに みよこ)
児童
文学作家
- 1. 大正15(1926)~平成27(2015)年
- 2. 昭和37(1962)年、『龍の子太郎』で国際アンデルセン賞優良賞を受賞。児童文学作品の他、民話研究家として活躍し『民話の世界』『現代の民話』等、多くの影響を与えた。また、娘達をモデルにした『ちいさいモモちゃん』は50年以上読み継がれている。赤ちゃんの愛読書として生まれた『いないいないばあ』も600万部を超える発行部数日本一の絵本。
- 3. 昭和30(1955)年、葛飾区金町で人形劇団「太郎座」を創設し活動していた。昭和30(1955)年より昭和42(1967)年まで区内に在住していた。
水谷 章三 (みずたに しょうぞう)
児童
文学作家
- 1. 昭和9(1934)年~
- 2. 小樽市出身。葛飾区東金町にあった人形劇団「太郎座」での活動の後、児童向けのテレビ・ラジオの脚本や紙芝居の脚本等を執筆した。紙芝居『ふうたのはなまつり』と『てつだいねこ』で五山賞を二度受賞。また、日本民話の会の会員として民話の採訪なども行ってきた。西水元周辺では時折、紙芝居を実演している。
- 3. 昭和51(1976)年より、葛飾区西水元に在住。
嶺 貞子 (みね さだこ)
声楽家
(ソプラノ)
- 1. 昭和11(1936)年~
- 2. イタリアオペラの第一人者であるとともに、宗教曲をレパートリーとする稀有な声楽家。東京藝術大学大学院修了後、昭和45(1970)年よりイタリア、スペイン、ドイツ、イギリスへ留学し、イタリアのアカデミア・キジアーナ歌曲コースを修了した。平成17(2005)年、コンメンダトーレ(イタリア連帯の星)勲章を受章。
- 3. 平成16(2004)年、葛飾区文化会館(かつしかシンフォーニーヒルズ)を拠点に活動する「シンフォニーヒルズ少年少女合唱団」が創設された際、合唱団の顧問を務めた。
宮地 伸一 (みやじ しんいち)
歌人
- 1. 大正9(1920)~平成23(2011)年
- 2. 昭和15(1940)年に「アララギ」に入会、土屋文明に師事した。昭和44(1969)年に『海山』で短歌研究賞を受賞。その後長く「歌壇」の有力歌人として活躍した。平成10(1998)年に『新アララギ』を創刊した。歌集に『町かげの沼』『夏の落葉』『潮さす川』『葛飾』などがある。
- 3. 戦後60年近く葛飾区に在住し、数十年にわたり区立中川中学校で国語を教えた。歌集に『葛飾』や『続葛飾』がある。
本宮 ひろ志 (もとみや ひろし)
漫画家
- 1. 昭和22(1947)年~
- 2. 昭和40(1965)年、『遠い島影』でデビューし、昭和43(1968)年に『週刊少年ジャンプ』連載の「男一匹ガキ大将」が人気となる。その後も 『サラリーマン金太郎』や『俺の空(刑事編)』がテレビドラマ化されるなど、人気作品を発表し続けている。
- 3. 葛飾区立小松中学校を卒業。区内新小岩に住んでいたことがある。
森川 由加里 (もりかわ ゆかり)
歌手
- 1. 昭和38(1963)年~
- 2. 「SHOW ME」の大ヒットで知られる歌手。昭和59(1984)年、テレビタレントとして活動を始めた。昭和61(1986)年にミュージカルに出演、翌年には歌手デビューを果たし、2枚目のシングル「SHOW ME」が大ヒットした。近年はアクアセラピストとしても活動している。
- 3. 葛飾区柴又出身。
(写真提供:久光製薬スプリングス)
森谷 史佳 (もりや ふみか)
バレーボール選手
- 1. 平成4(1992)年~
- 2. 全日本代表にも選ばれたことがあるバレーボール選手。高校卒業後、パイオニアレッドウイングスに入った。Vプレミアリーグの2011/2012シーズンの最優秀新人賞を受賞、25(2013)年には全日本代表に選ばれた。同年、第1回世界U23女子バレーボール選手権に日本代表として出場し、銅メダル獲得に貢献した。2014年にVプレミアリーグの久光製薬スプリングスに移籍し数々の功績を残す。堀川真理とは共栄学園時代の同級。
- 3. 葛飾区出身。葛飾区立宝木塚小学校、共栄学園中学・高等学校(葛飾区お花茶屋)卒業。
山下 雅道 (やました まさみち)
宇宙生物科学
- 1. 昭和23(1948)年~
- 2. 宇宙生物科学、宇宙農業を専門とする科学者。農村の野菜栽培の肥料として都市のし尿を使用し、野菜を都市へ販売するといった物質循環が成立していた江戸時代の農業は、宇宙農業の参考になると評価している。国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授。平成15(2003)年、日本宇宙生物科学会の学会賞を受賞。
- 3. 葛飾区鎌倉出身。平成21(2009)年、葛飾区郷土と天文の博物館にて講演を行い、昔の葛飾で行われた農業の知恵は未来の火星探査に役立てることができるとした。
山田 洋次 (やまだ ようじ)
映画監督
脚本家
- 1. 昭和6(1931)年~
- 2. 国内外から高い評価を受けている、日本を代表する映画監督・脚本家。昭和29(1954)年、助監督として松竹株式会社に入社。昭和36(1961)年、『二階の他人』で監督デビューを果たす。原作・脚本・監督を務めた葛飾区柴又を舞台とする『男はつらいよ』は、昭和44(1969)年に第1作が公開され、平成7(1995)年まで48作品が公開される人気シリーズとなった。他にも多くの作品を手がけ映画の発展に尽くしたことから、平成24(2012)年、文化勲章を受章した。山田洋次に「日本人の心の故郷」と言わしめた風景が広がる柴又は、映画『男はつらいよ』の主人公である車寅次郎の口上、「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」とともに全国的に有名になった。また、平成9(1997)年に開館し、名誉館長を務めている「葛飾柴又寅さん記念館」や、平成24(2012)年に開館した「山田洋次ミュージアム」には多くの観光客が訪れている。
- 3. 葛飾区柴又を舞台とする映画『男はつらいよ』の監督
吉田 照美 (よしだ てるみ)
フリーアナウンサー
タレント
- 1. 昭和26(1951)年~
- 2. テレビ、ラジオなどで活躍するフリーアナウンサー。早稲田大学政治経済学部卒業後、昭和49(1974)年、文化放送にアナウンサーとして入局した。『セイ!ヤング』や『吉田照美のてるてるワイド』などのパーソナリティーを務めた。退社後は、フリーアナウンサーとして活躍している。
- 3. 都立小岩高等学校在学中は、JR線新小岩駅南口のルミエール商店街にある書店・第一書林に通い、受験参考書をよく買っていたという。
吉野 弘幸 (よしの ひろゆき)
元プロボクサー
- 1. 昭和42(1967)年~
- 2. 昭和60(1985)年にデビューした元プロボクサー。昭和63(1988)年に日本ウェルター級チャンピオンとなり、平成7(1995)年には東洋太平洋ウェルター級チャンピオンとなった。平成9(1997)年に一時ボクシング界を引退した後、平成11(1999)年に現役復帰し、翌年に日本スーパーウェルター級チャンピオンとなり、平成12(2000)年には日本スーパーウェルター級チャンピオンとなった。
- 3. 葛飾区出身。平成2(1990)年「葛飾区文化・芸術・スポーツ功労賞」を受賞。平成17(2005)年からは葛飾区青戸で「エイチズスタイル ボクシングジム」を経営している。
吉本 隆明 (よしもと たかあき)
思想家・詩人
- 1. 大正13(1924)~平成24(2012)年
- 2. “戦後最大の思想家”“知の巨人”と呼ばれた。次女は作家のよしもとばなな氏。『漱石を読む』で第2回小林秀雄賞を受賞。『吉本隆明全詩集』で第41回藤村記念歴程賞を受賞。
- 3. 昭和16(1941)年より昭和29(1954)年まで、葛飾区上千葉(現葛飾区お花茶屋)へ一家で転入した時期がある。
吉原 義一 (よしわら よしかず)
刀匠
- 1. 昭和42(1967)年~
- 2. 刀匠・吉原義人を父に持ち、中学生のころから父たちの仕事を少しずつ手伝うようになった。18歳から本格的に修業をおこない、23歳で刀匠の資格を取得した。平成15(2003)年、史上最年少の36歳の若さで新作名刀展無鑑査に認定され、平成22(2012)年には葛飾区指定無形文化財に指定された。
- 3. 葛飾区出身。父・吉原義人のもとで刀鍛冶の修業を行う。
吉原 義人 (よしわら よしんど)
刀匠
- 1. 昭和18(1943)年~
- 2. 昭和45(1970)年頃から祖父である初代國家の下で刀鍛冶の修業をはじめ、57(1982)年に新作名刀展無鑑査に認定された。平成10(1998)年に葛飾区指定無形文化財に指定、平成20(2008)年には東京都指定無形文化財に指定された。
- 3. 葛飾区高砂に刀鍛錬所を構えている。葛飾区指定無形文化財。平成16(2004)年には東京都指定無形文化財保持者に認定された。
四代目
柳家 小せん
(飯泉 真寿夫) (よんだいめ
やなぎやこせん
(いいいずみますお))
落語家
- 1. 大正12(1923)~平成18(2006)年
- 2. 昭和30年代半ばから40年代半ばのテレビ演芸ブームの中で人気を博した落語家。昭和24(1949)年、五代目柳家小さんに入門した。昭和36(1961)年、四代目柳家小せんで真打となった。「ケメ子」という流行語を生んだ。
- 3. 葛飾区立石に在往していた。
柳亭 風枝 (りゅうてい ふうし)
落語家
大道芸人
- 1. 昭和20(1945)年~
- 2. 落語家だが、舞踊や「居合い抜き」などの芸もこなす。昭和38(1962)年、二代目三遊亭百生に入門した。百生没後は五代目柳家つばめの門下、つばめ没後は五代目柳家小さんの門下となった。この間、昭和42(1967)年に二ツ目に昇進した。昭和54(1979)年には真打に昇進し初代柳亭風枝と改名した。
- 3. 葛飾区出身。葛飾区亀有にある都立葛飾野高等学校卒業。
LiLiCo (りりこ)
映画コメンテーター
- 1. 昭和45(1970)年~
- 2. テレビ・雑誌で活躍する映画コメンテーター。スウェーデン人の父親と日本人の母親の間に生まれた。女優・歌手としても幅広く活動している。
- 3. 18歳の時に来日し、葛飾区立石で暮らし始めた。葛飾に住んでいた頃は、祖母と叔父が立石で経営していたライブ喫茶で歌っていた。平成27(2015)年に開催された「かつしかフードフェスタ 2015」ではPR大使を務めた。
渡辺 明 (わたなべ あきら)
将棋棋士
- 1. 昭和59(1984)年~
- 2. プロ将棋棋士。小学1年生で将棋を始め、15歳でプロ棋士となり「中学生棋士」として注目を集めた。平成20(2008)年、竜王戦の5連覇により初の永世竜王の称号を得た。
- 3. 葛飾区立宝木塚小学校卒業。将棋を始めた頃は区内高砂地区センターで開かれていた将棋サークルで腕を磨いた。小学4年生の時、第19回小学生将棋名人戦で優勝した。近年は母校の宝木塚小学校を訪問して児童に将棋の楽しさを伝えている。
渡部 香生子 (わたなべ かなこ)
水泳選手
- 1. 平成8(1996)年~
- 2. 世界的な水泳選手。体が丈夫になるようにと4歳からスイミングスクール(JSS立石)で水泳を始めた。中学1年までは個人メドレーを得意としていたが、中学2年生より平泳ぎを中心にしてその実力が開花し、平成22(2010)年に全国中学校水泳競技大会で200m平泳ぎの中学新記録を更新した。平成24(2012)年には15歳でロンドン五輪に出場し、平成28(2016)年には100m及び200m平泳ぎの日本代表としてリオ五輪へ出場した。
- 3. 葛飾区堀切出身。葛飾区立堀切小学校卒業。現在は早稲田大学に所属している。
綿引 道郎 (わたびき みちお)
彫刻家
- 1. 昭和17(1942)年~
- 2. 素材に鉄を用い禅の思想をテーマとする彫刻から出発し、近年は銅の柔らかさを生かした作品を制作している彫刻家。幼少より父親で木彫家の綿引司郎、叔父にあたる彫刻家・晝間弘(葛飾区出身)のアトリエに出入りし彫刻に親しんでいた。中学生の時に『ロダンの言葉』を読み、彫刻家を志すした。その後、東京藝術大学・同大学院で彫刻・鍛金を学んだ。平成14(2002)年、第87回二科展文部科学大臣賞を受賞するなど数々の賞を受賞。
- 3. 葛飾区立金町小学校・区立金町中学校を卒業。区立中央図書館入口に作品「勤勉像」が展示されている。