葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■都市近郊農村の娯楽 :四季の娯楽【祭り囃子】

 江戸の祭り囃子の源流と伝えられている葛西囃子は、享保年間(1716〜1736)に金町の香取神社(現葛西神社)の神官、能勢環 によって始められ、金町の若者たちの情操教育のためにお囃子を伝授したと伝えられている。能勢環は紀州出身の行者であったとも言われているが、その来歴ははっきりしていない。
 大太鼓1、締め太鼓2、鉦1、笛1の5人を基本的な編成としている。楽曲は、打ち込み、屋台、昇殿、鎌倉、四丁目(仕丁舞)、玉、後屋台という流れを「ひとっぱやし」といってこれに乗せて神楽を舞ったり屋台が巡行する。この一連の楽曲の順には伝承団体によって若干の違いがある。
 葛西囃子とは別系統の囃子に箕濃ケ谷囃子あるいは箕輪囃子と呼ばれるものがある。葛西囃子が「切り囃子」と呼ばれるテンポの速い豪快な演奏であるのに対し、箕濃ケ谷囃子は独特な間を持っている。この箕濃ケ谷囃子は葛西囃子の亜流であるともいわれるが、実は東京東郊の祭り囃子の古体であるという説もある注釈2
 明治時代になるとこれらの祭り囃子は各ムラの若者たちの娯楽として盛んになり、農作業が終わった夜や農休日に集まって稽古をするようになった。昭和になると新宿の関根菊次郎によってすじかい流葛西囃子保存会が、また昭和26(1951)年には葛西囃子保存会が結成され、今日に至るまで葛西囃子の伝承に努めている。




注釈2:あだちの祭り囃子 足立区立郷土博物館 平成14(2002)年。