葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第3節 都市近郊の農村

■都市近郊農村の娯楽 :休み日と年中行事

 明治30年代の新宿町の農家の生活を記録した『東京府南葛飾郡新宿町農事調査』には、農家の毎月の労働日数が記録されている。総じて春から夏が忙しく、お盆のある8月を除いて3月から9月までは休み日を除いた、労働をする日数が24日〜26日あることがわかる。反対に休み日が多いのは1月と2月で、1月の労働日数は18日、2月は22日である。
 さらに定期の休み日として各月の年中行事や祭礼の日が書かれている。正月や盆などの一般的な農家の年中行事の他、孝明天皇祭(1月30日)、紀元節(2月11日)、春季皇霊祭(3月21日)、神武天皇祭(4月3日)、秋季皇霊祭(9月23日)、天長節(11月3日)や新嘗祭(11月23日)などの当時の国の祝祭日や、青戸町の延命寺の大祭の日(4月15日)、水元飯塚町の浅間神社の祭礼の日(7月1日)なども含まれている。
 このように、休み日は昔から伝わる年中行事を中心として設けられていたが、聞き取り調査によると次のような日も休み日として当てられていた。
 金町では1日と15日が農家の休み日と決まっていて、この日は1日仕事を休んだ。神棚や屋敷神に灯明をあげ、普段麦飯を食べている家でも白いご飯を食べ、いつもよりおかずを増やした。
 1日と15日が休み日というのはどのムラでも農家では一般的なことであるが、堀切町や本田渋江町、青戸町などには花を栽培する家があって、1日と15日には花の行商に歩くことが常であった。
 ムラで定期的な休み日が決められていても野菜の出荷の最盛期に休み日がぶつかると、決まった休みが取れないときがある。こうした中で、昭和20年代に水元小合町の大下では、休みがないと農家に雇用されている若い衆が気の毒だということになり、ムラで申し合わせて休日を決めた。違反者から反則金まで取ったが、1年もたたぬうちに自然消滅してしまった。反則金を集金に行くとけんかになる始末であった。
 新宿町の鷺沼でも、昭和初期に青果市場の休日の前日を休み日とした。違反した家からは罰金を取ると申し合わせたが、若い嫁たちが姑の目を恐れて畑に出てしまうことが多く、これもやがて自然消滅してしまった。
 下千葉町では農繁期には、体を休めるため雨が降ると地域の有力者が協議して「今日はサナブリにしよう」 というフレ(通知)が出ることがあった。奉公人や嫁は小遣いをもらい、一日のんびり過ごした。