葛飾区史

第5章 暮らしの移り変わり


第1節 家とムラ

■親類の付き合い :イッケ稲荷

 水元猿町の大畑家とその分家では大畑稲荷という稲荷神を祀っている。初午には大畑稲荷の祭りが盛大に行われている。大畑家の本家には天保7(1836)年の年号が入っている稲荷神を祭祀することを許可した古文書と、天保13(1842)年の年号が記された稲荷神の旗が残されているので、祭りは少なくともそのころから行われていることがわかる。
 初午の日に集まった本家分家の人たちは稲荷神の前に供物を捧げ、新しい米で作った甘酒を供える。かつては皆が米作りを行う農家だったので、自分の家の水田で作った新米で甘酒を作った。その他に油揚げと季節の野菜、それにすわり餅を供える。その後、稲荷神の前でお囃子をあげ、参加者が皆で飲食する。
 昭和40(1965) 年頃までは、あらかじめ中川で捕ったコイやナマズを生かしておいて料理したり、飼育していた鶏をつぶして鍋にした。夜を徹して酒を飲み、楽しい一夜を過ごすのが常であった。
 このように本家と分家が1つの稲荷神を祀り、お祭りである初午に飲食を共にすることが水元猿町、水元小合新町や水元小合上町などで行われていた。本家・分家の集まりをイッケと言っていたので、ここで祀られる稲荷神を「イッケ稲荷」と呼ぶこともあった。
 ちなみに本家に対して分家のことをシンタクと呼ぶ。あるいは本家の屋号に「ウラ」をつけて呼ぶこともある。例えばナカヤという屋号の家から分家に出た場合「ウラナカヤ」というような塩梅である。
 大畑稲荷の初午祭りは、本家・分家の結束を確認する機会であり、各家の永続を祈願する祭りということができる。現在もどこかの家の跡取りが結婚するときは、必ず全ての家の当主が招待される習わしになっている。
 この他一般的な本家と分家のつきあいの例には、葬儀やその後の法要、盆などの先祖供養の行事がある。例えばお盆の中日である14日には分家が本家の盆棚にお参りに行く。また、本家の田植えには分家が手伝いに行く。ただし、こうした付き合いは大畑稲荷の祭りのように世代を超えることは少なく、本家から直接分家に出た家が一代限りで行うことが多い。