葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第2節 現在の葛飾

■安全で安心して暮らせるまちづくりへ :水害対策から震災対策へ

 戦後しばらく日本は、全国的に治水対策が進まず、たびたび来襲した台風によって日本列島は大きな被害を受けた。
 葛飾区も、前述のカスリーン台風による大規模な被害をはじめとして、幾度となく水害に見舞われた。『葛飾区政ニュース』(現『広報かつしか』)によると、昭和23(1948)年9月15日の発行以降、排水場の設置や河川改修工事などの水防対策や水防訓練に関する記事が多く、昭和20年代における区の防災対策は水害への備えに重点を置いてきたことがうかがえる。
 昭和38(1963)年に「災害対策基本法」注釈1の規定により「葛飾区防災会議条例」が制定され、これに基づき葛飾区防災会議が設置された。翌年には、この防災会議で策定された「葛飾区地域防災計画」において、「低湿地帯、家屋密集地という本区の特殊性から、特に暴風、豪雨等による風水害を基本とし、あわせて地震、火災その他の突発災害にも対処し得るものとする」という目標が定められた。
 以降、この防災計画は昭和39(1964)年の新潟地震注釈2や昭和43(1968)年の十勝沖地震注釈3、昭和53(1978)年に公表された東京区部の被害想定注釈4などが転機となり、幾度か修正が加えられた。また、下水道の普及に伴う浸水被害の減少に加え、災害用備蓄倉庫、地下貯水槽、街路消火器の設置や避難訓練など、災害対策に対する具体的な事業を推進していった。
 その後発生した、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災と平成23(2011)年の東日本大震災は、葛飾区に多くの経験や教訓を与え、適宜、防災計画の見直しを行った。

狩野川台風 

昭和33(1958)年、狩野川台風のときの堀切銀座。
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水防訓練の様子

水防訓練の様子(昭和36〔1961〕年)
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注釈1:昭和34(1959)年9月26日に中部地方を襲った伊勢湾台風を契機として、3年後の昭和37(1962)年に施行。
注釈2:昭和39(1964)年6月16日に新潟県粟島南方沖 40㎞を震源としたM7.5の地震。
注釈3:昭和43(1968)年5月16日に青森県東方沖を震源としたM7.9の地震。
注釈4:関東大震災(海溝型)と同規模の地震が発生した場合の被害予測を行った。