葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■葛飾から全国へ① 映画『男はつらいよ』 :テレビドラマから映画化へ

 『男はつらいよ』は、昭和43(1968)年10月から昭和44(1969)年3月まで、フジテレビ制作の全26回のテレビドラマとして放送された。下町人情ドラマとして人気を博していたが、最終回で寅次郎がハブ狩りで一儲けしようと奄美大島に行った際、ハブに噛まれて死んでしまうという結末に抗議の電話が殺到した。この事態を受け、当時、脚本を担当していた山田洋次がメガホンを取り映画化された。
 映画『男はつらいよ』の第1作は、松竹株式会社によって昭和44(1969)年8月に封切られ、平成7(1995)年公開の第48作注釈1まで26年間にわたる映画シリーズとなった。昭和44(1969)年当時は、「いざなぎ景気」で活況の中、若者が任侠映画に出てくるアウトローに憧れを抱き、学生運動も盛んな時代に、一風変わったアウトローとして「寅さん」は誕生した。
 全ての作品で主演を務めた渥美清は、「寅さん」のキャラクターで日本中の人に親しまれ、山田洋次とともに柴又の名を全国区へと押し上げた立役者であった。
 なお、第30作を超えた昭和58(1983)年には、「一人の俳優が演じた最も長い映画シリーズ」としてギネス世界記録にも認定されており、全作品を通じた観客動員数は8000万人を超えている。

映画『男はつらいよ』第48作のポスター 
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注釈1:第3作は森崎東 、第4作は小林俊一、その他の全ての作品は山田洋次が監督を務めた。