葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■葛飾から全国へ① 映画『男はつらいよ』 :『男はつらいよ』の舞台

 『男はつらいよ』はテレビドラマとして、その歩みを開始した。昭和43(1968)年、『男はつらいよ』の舞台を決めるため、テレビドラマ版のプロデューサーの小林俊一と山田洋次、渥美清 は、関東の町を歩き回っていた。舞台は浦安に決まりかけていたが、現場のロケハン注釈1を行ったところ、舞台イメージと再開発が進む現状とのギャップに、一行は思案し、柴又を訪ねた。この地は、昭和37(1962)年に、山田洋次が映画監督として2作目に当たる『下町の太陽』(昭和38〔1963〕年公開)の撮影に向け、新宿に住む旧知の作家早乙女勝元と歩いた場所であった。一行は訪れた柴又帝釈天の参道で「ここ、渥美ちゃんがふらっと出てきそうだよね」注釈2と盛り上がり、舞台は柴又に決定された。

映画『男はつらいよ』第1作のポスター
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注釈1:ロケーションハンティングの略。撮影場所を探す際の下調べとして、現地の視察・調査などを行うこと。
注釈2:講談社「現代ビジネス」ホームページより。小林浩司談。小林俊一は、浩司の父。