葛飾区史

第4章 現代へのあゆみ(戦後~平成)


第1節 戦後の葛飾

■高度成長期の産業と労働力 :日本経済の高度成長

 昭和31(1956)年7月に経済企画庁(現内閣府)が発表した『経済白書』は、日本経済が戦前の最高水準を上回る回復を遂げたことから、戦後の復興に基づく成長は終わったとして「もはや戦後ではない」と宣言した。そして、今後の成長は技術革新に基づいた生産と消費の近代化によって支えられるとした。『経済白書』が発表された昭和30年代初期から昭和40年代半ばにかけての時期は、実質経済成長率が年平均10%前後という驚異的な成長を遂げたことから「高度成長」(当初は「高度経済成長」)期と呼ばれている。
 昭和30年代初期には、「神武景気」や「岩戸景気」注釈1-1と呼ばれる好景気が訪れた。この時期は、政府が目標とした重化学工業の発展や合理化による輸出の拡大が実現するとともに、人々が電化製品などを買い求めたことから消費が拡大した。
 こうした好景気に拍車をかけるように、昭和35(1960)年、池田内閣は翌年からの10年間で実質国民所得をほぼ2倍にすることなどを目標とした「国民所得倍増計画」を打ち出した。また、昭和39(1964)年の東海道新幹線開通と東京オリンピックの開催も経済成長の追い風となった。そして、昭和40(1965)年から昭和45(1970)年には、岩戸景気を超える「いざなぎ景気」注釈1-2と呼ばれる好景気が訪れ、日本経済は好調を極めた。
 一方、技術革新によって急速に進んだ工業化は、工場の排煙・排水による大気や水の汚染、騒音、工場用水として地下水をくみ上げ過ぎたことによる地盤沈下などの公害を発生させ、社会問題になった。

奥戸街道を走る東京オリンピックの聖火ランナー(昭和39〔1964〕年、立石)

10月7日、葛飾区内を東京オリンピックの聖火ランナーが駆け抜けた。奥戸新橋から堀切小橋に至る約5.2㎞のコースには、多くの区民が集まった。
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注釈1-1:「歴史が始まって以来の好景気」という意味を込めて、初代天皇とされる神武天皇や天の岩戸神話から名付けられた。神武景気は昭和29(1954)年末ごろから昭和32(1957)年半ばにかけて31カ月続き、岩戸景気は昭和33(1958)年6月から昭和36(1961)年12月までの42 カ月続いた。
注釈1-2:昭和40(1965)年10月から昭和45(1970)年8月までの57カ月にわたる大型景気。岩戸景気を上回る好景気であったことから、日本列島誕生の神話に登場するイザナギノミコトにちなんで名付けられた。