葛飾区史

第3章 近代化への道(明治~戦前)


第1節 南葛飾郡の時代

■明治維新後の変遷 :報恩社法

 県知事の河瀬秀治は、全国に先立って「報恩社法」を施行した。「報恩社法」は、一種の社会福祉事業で、一般有志から金と米の積立てを受けて蓄え、非常時の被災者救済に充てたものである。明治3(1870)年3月に刊行した『報恩社法録』には、報恩社法・報恩社名が示されている。巻末に民部省から5月に受けた表彰の写しが収録されている。
 また、当地域における最初の公立教育機関である小菅県立仮学校が、真言宗正覚寺(小菅1丁目)に設置された。この学校は、主として県庁の役人を対象としたものであった。
 小菅県は、明治4(1871)年7月14日の廃藩置県を経て、同年11月14日に品川県や東京府と合併して、改めて置かれた東京府となる。

報恩社法録

右が表紙、中央2枚が巻末にある民部省からの表彰状の写しで、左が裏表紙。
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