葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾と水② 船橋と曳舟 :亀有上水と曳舟

 水戸街道筋の亀有から立石へと至る四ツ木道に平行する葛西用水は、東側の中井堀と西側の古上水堀の2筋が並走していた。古上水堀はその名のごとく、かつて元荒川の瓦曽根溜井から干拓・埋立地の葛西領新田筋の本所・深川へ、飲料水を運ぶ本所用水の水路だった。別名白堀上水や亀有上水とも呼ばれた。本所上水は享保7(1722)年に廃止されるが、享保14(1729)年の葛西用水体系の改変で小合溜井が設置されると、綾瀬川以南の使われなくなった旧水路が葛西用水に転用された。
 船頭が土手から船の舳先に付けた綱を引く「曳舟」が古上水堀で行われたため、「曳舟川」と呼ばれるようになった。葛西領における曳舟は、古上水堀下流の小梅村、中井堀の亀戸から木下川薬師間、東葛西領では船堀村でも行われていた。

「葛西志」北十間川以北至古隅田川略図に見る西葛西領
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木下川の風景(『絵本江戸土産』)
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東京小梅曳舟夜図(明治9〔1876〕年、小林清親)
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