葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第3節 近世の葛飾

■葛飾の村 :村の暮らし

 幕府は、様々な種類の文書を村に出して、年貢の徴収や村人の生活を掌握した。村は名主・組 頭 ・百 姓代からなる村方三役 を中心に運営された。宗門人別帳注釈1は年齢や家族構成が記され、戸籍の役割を果たした。婚姻や奉公などで土地を離れる時には寺請証文注釈2 が作られ、移転先の宗門人別帳に新たに記載された。五人組は、相互扶助や年貢納入の連帯責任の役割を担った。五人組帳の前書には日常の暮らしで守るべき細かな取り決めが記されている。年貢は春先に、村ごとに年貢の量が割付状で通知され、収穫後年貢が納入されると年貢皆済目録が出された。
 天保元(1830)年江戸幕府が作成した『新編武蔵風土記稿』には、村の位置、江戸時代以前の支配関係、民家の数、高札場の場所、川、神社、寺院、名所、旧跡、人物、旧家などの記載があり、19世紀前期の村々の様子を知ることができる。

上小合村絵図(延 享 5〔1748〕年)(細谷家文書〔葛飾区登録有形文化財〕)

享保6(1721)年に古利根川であったところが、「東葛西領用水溜井」となっている。中央部に黒で描かれているのは堤で、ふくらみの西側には洪水の際に切れてできた池(切所)がある。
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上小合村明細帳(部分)(延享3〔1746〕年)(細谷家文書〔葛飾区登録有形文化財〕)

村明細帳は村役人が領主に提出した地誌で、家数や地勢などが書かれているもの。家数39軒、馬4疋などの記載が見える。
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注釈1:キリシタンでないことを証明するため宗派別に寺ごとに作られたもの。
注釈2:寺院の檀家であることを証明するために発行した文書。人々が移動や移住をする際に発行された。