葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第2節 中世の葛飾

■関東の戦乱と葛西城 :長尾景虎の関東進攻と葛西城

 永禄3(1560)年に越後の長尾景虎(後の上杉謙信)が関東に進攻した。景虎は反北条氏勢力を結集して、北条氏の本拠地である小田原城下に軍を進駐させた。景虎の進攻によって葛西城も落ち、葛西周辺は北条氏から反北条氏の勢力下へと移った。しかし、翌年景虎が越後へ退去すると、北条氏は反撃を開始し、永禄5(1562)年に葛西城は北条方の太田康資の攻撃により落城し、再び北条氏の手に移った。この際、北条氏が忍を使って葛西城を乗っ取るように命じていることが史料から確認できる。
 だが、永禄7(1564)年に葛西城攻略の功績があった太田康資が、北条方から離反すると、安房国の里見義弘が下総国に侵攻してきた。北条氏康は里見義弘と太日川(現江戸川)を挟んで、再び戦火を交えた(第2次国府台合戦)。この戦いに氏康は勝利し、さらに天正2(1574)年、北条氏は葛西地域の上流に位置する関宿城を攻略して、利根川水系の河口部の葛西城周辺から中流部にある関宿城周辺までの交通を直接掌握することに成功した。

北条氏の勢力図

2代氏綱の時に江戸城や葛西城といった東京湾沿岸地域に進出し、3代氏康以降に関東地方内陸部へと勢力を伸ばしていった様子がわかる。
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