葛飾区史

第2章 葛飾の成り立ち(古代~近世)


第1節 古代の葛飾

■古代の葛飾における災害 :飛鳥・奈良時代の災害

 古代の葛飾区域が属していた下総国は、文武天皇2(698)年9月に「大風」に見舞われ、人々の家が破壊された。おそらく、季節的に見ても「大風」とは台風のことであると想像される。台風とみられる「大風」は、その後も大宝2(702)年8月に駿河国と下総国の人々の家を破壊し、穀物に被害を及ぼした。同年9月には下総国が飢饉に見舞われ、都から天皇の使者を派遣して慰問を行った。この飢饉の発生は、前月の「大風」の影響と考えられる。同様の事例が延暦4(785)年にみられる。この年の7月と8月に下総国は、遠江・常陸・能登の諸国とともに「大風」に襲われ、稲などの穀物が被害を受けた。そして、10月にはこれらの国とともに飢饉に見舞われている。
 この他にも、奈良時代を通じて下総国は、天平勝 元(749)年には旱と、イナゴが大量発生して作物の生産に損害を与える蝗害に遭い、それらの影響で飢饉となった。天平 字6(762)年と天平神護元(765)年には旱、神護景雲3(769)年と天応元(781)年には飢饉が発生している。この他にも、史料で「諸国」が飢饉や旱などに襲われたとする記事が多くみられることから、この「諸国」の中に下総国が含まれていた場合もあったと考えられる。

7世紀〜9世紀の下総国の主な災害年表
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