葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第3節 東京低地と利根川の改変

■シリーズ1葛飾と水① :水害と高潮

 利根川・荒川が形成した沖積地である東京低地では、これまで数多くの水害に見舞われている。江戸時代の諸災害の番付である『慶長以来、聖代要廼磐寿恵』の洪水部には、「関東大洪水」が7つ「江戸大洪水」が2つ挙げられている。江戸三大洪水は、寛保2(1742)年の小谷野村堤防決壊による水害、天明6(1786)年の権現堂堤決壊による水害、弘化3(1846)年の荒川千住堤決壊による水害である。
 葛西領沿岸部では、延宝8(1680)年、寛保2(1742)年、寛政3(1791)年、文政6(1823)年、安 政3(1856)年の高潮災害がある。
 明治時代以降も、台風災害、高潮災害に加えて、梅雨期の内水氾濫水害注釈1が起きている。水害は、①異常高水位、流量増大による河川堤防決壊型、②高潮の堤防乗り越え型、③内水氾濫による長期湛水型に大きく分けられる。 
 いくつかの河川が関わり、東京低地に被害を与えた水害には、明治29(1896)年9月の水害、同43(1910)年8月の水害がある。この水害の教訓を受けて、荒川放水路が造られた。第2次世界大戦後の昭和 22(1947)年9月のカスリーン台風は、東京低地ほぼ全域が浸水し、現在に至る治水対策の教訓となった。現在東京低地には、多くの水門・閘門があり、水害に備えている。平成 23(2011)年の東日本大震災以降は、河川への津波対策も課題となっている。

東京低地の水門と閘門
戻る時は右上の×をクリックしてください




注釈1:市街地などに短時間で大雨が降り、排水路や下水道などの処理能力を超えてあふれ出した雨水による水害のこと。