葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第3節 東京低地と利根川の改変

■江戸時代以前の東京低地 :時代の利根川

 坂東太郎の別名を持つ利根川は、新潟県と群馬県の境にある大水上山を水源とし、長さは約 322㎞と日本で2番目に長く、流域面積は日本最大の約 1 万 6840㎢である。利根川の流れは、現在に至るまで複雑な変遷をたどってきた。特に16世紀後期から17世紀前期の約 100 年間の変遷はめまぐるしい。武蔵・下総・下野の国境地域である関宿(現千葉県野田市)周辺では、独立した水系であった渡良瀬川・利根川・常陸川の各河川が、利根川水系として一体化され、現在のような水系となった。
 明治 16(1883)年に作成された『迅速測図』注釈1を見ると、かつて河川が流れていた跡(旧河道)が確認できる。古代の国境であった合の川、天正2(1574)年に締め切られた古利根川、文禄3(1594)年まで本流であった会の川、その後の幹線であった浅間川、慶長年間(1596 〜 1615)に開削された権現堂川、元和7(1621)年に開削され、現在の河道である新川通、正保4(1647)年に通水した江戸川など、新旧の利根川の跡がみえる。

『迅速測図』に見る旧河道

迅速測図に旧河道を加えたもの。点線(・・・)は開削部。
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注釈1:日本で最初の地形図で、陸軍参謀本部により明治13(1880)年から明治19(1886)年に作成された。