葛飾区史

第1章 葛飾の風土と自然


第1節 葛飾の自然環境

■葛飾区の位置 :行政区画の変遷

 葛飾区域が属した下総国葛飾郡は、下総国の南西部に位置し、現在の千葉県・埼玉県・茨城県と東京都の一部を範囲とするものであった。17 世紀に入ると、利根川が東に移されたことにより、葛飾区域を含む江戸川から西の地域は武蔵国葛飾郡となった。
 明治 11(1878)年には、「郡区町村編制法」により東京府南葛飾郡に属することとなった。また、明治 22(1889)年の「市制町村制」施行により、江戸時代から続く村々が1町6カ村に編成された。明治 43(1910)年に水害で大きな被害を受けた東京低地注釈1では、洪水対策として荒川放水路(荒川)が開削される。この結果、行政区画に変化が生じた。
 昭和7(1932)年 10 月1日、東京市葛飾区が誕生し、新しい町名が生まれた。昭和38(1963)年からは住居表示が順次実施され、現在の町名となっていった。

旧7カ町村を構成した江戸時代の村
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注釈1:武蔵野台地と下総台地の間に広がる低地帯のこと。現在の葛飾・江戸川・足立・江東・墨田区と台東・荒川・北区の低地部が含まれる。