子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第9節 小菅(小菅・堀切・東堀切)

■ :小菅(小菅・堀切・東堀切)

レンガ工場(小菅1丁目)  
 1872(明治5)年、小菅県庁のあと地(現在の東京拘置所の場所)にレンガをつくる工場ができました。レンガとは、建物の材料として使われる、ねん土を焼いてつくるブロックのようなものです。   レンガ工場には、アイルランド生まれのイギリス人技術者であるトーマス・J・ウォートルスの指導によって、日本初のレンガを焼く西洋式の窯(ホフマン窯)が設置されます。この窯によって、質のよいレンガを多くつくることができるようになりました。この工場でつくられたレンガは、火事で焼けてしまった銀座のまちをつくり直す工事にも使われました。その後、レンガ工場は明治政府が買い取りました。

トーマス.J.ウォートルス
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小管でつくられたレンガ(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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小菅銭座跡(葛飾区指定史跡)(小菅1丁目、西小菅小学校校地)  
 江戸幕府は、1859年から翌年にかけて、貨幣のつくりかえを行いました。このために江戸幕府が1859年8月につくったのが小菅銭座です。小菅銭座では鉄銭がつくられました。場所は幕府のもっていた土地の一角で、現在の西小菅小学校の辺りがその中心だったと考えられています。広さは約1万5000平方メートルもあったといわれています。

小管銭座跡
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