子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第8節 青戸

■ :青戸

今戸焼
 今戸焼は、江戸時代から続く焼きものです。1923(大正12)年に起きた関東大震災により、生産の中心であった今戸(現在の台東区)が大きな被害をうけたため、職人が葛飾に移ってきました。青戸は、質のよいねん土がとれて、ねん土や焼きものを運ぶための中川もあったので、焼きものをつくるのに適していたのです。  
 青戸では、かわらや植木鉢がつくられました。今戸焼の植木鉢は風通しがよく、植物を育てるのに適していました。また園芸ブームも手伝って、昭和40年代には植木鉢づくりの最盛期をむかえました。その後、プラスチック製の植木鉢の普及などにより徐々につくられなくなっていきました。

植木鉢を焼いていた窯(1988〔昭和63〕年)
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植木鉢をつくる(1988〔昭和63〕年)
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御殿山遺跡(青戸6~8丁目)  
 青戸には古くから人が住んでいました。今から約1600年前の古墳時代に多くの人が暮らしていたあとがあり、御殿山遺跡とよばれています。この遺跡からは、家が建っていたあとや食事をつくったり食べたりするときに使う土器が見つかっています。土器の中には、遠くの地域でつくられた土器もあり、海や川を舟で運んで伝わってきたと考えられています。また、魚をとるための道具や畑のあとも見つかっていて、このころは川で魚をつかまえたり、畑で食べものを育てたりして生活していたと考えられています。

御殿山遺跡から出土した土師器(土器)のかめ (葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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御殿山遺跡で見つかった畑のうねのあと

畑のうね(細長く直線状に畑の土を盛り上げた所)がみられ、作物を栽培していたことがわかります。
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