子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第7節 亀有(亀有・西亀有)

■ :亀有(亀有・西亀有)

亀有の井戸  
 江戸時代、亀有の井戸水は水質が悪く、どこの水をくんでも水がにごっていました。このため、水を飲むには、砂の入った器を使って井戸の水をきれいにしなければならず、住民は苦労していました。そこで、水谷又助という幕府の役人が山崎玄恵という老人の話をもとに井戸をさがしたところ、1805年の正月にそのまま飲めるきれいな水が出る井戸をほりあてたのです。この井戸水は、村の約40カ所に引かれ、亀有に住む人たちの飲み水として使われ、この井戸は山崎玄恵の名をとって「玄恵井」とよばれるようになりました。  
 そして、水をほりあてた日から8年目の1813年の正月に、亀有香取神社の境内に石碑「玄恵井の碑」を建てました。この石碑には、井戸をほりあてたことが書かれています。

玄恵井の碑(葛飾区指定有形文化財)(亀有3丁目)
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亀有にまつわる昔話  
 常磐線が通った明治時代のころの話です。当時、汽車が通るのは1時間に1本ほどでした。その後、汽車の汽笛が1時間に3、4回も聞こえるようになり、ずいぶん汽車が通るようになったと村はこの話題でもちきりになりました。  
 ところが、ある日とつぜん、汽笛がさっぱり聞こえなくなりました。ちょうどその頃、村人が線路で汽車にひかれたムジナ(タヌキのように化けるとされる動物)を見つけました。この話はすぐにつたわり、村民はたくさん通った汽車はムジナだったのだと思いました。このムジナをかわいそうに思った村民たちは、見性寺に塚をつくり、毎年命日には和尚さんが供養したそうです。

狢塚

1953(昭和28)年につくられました。見性寺(亀有5丁目)にあります。
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