子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第6節 細田・鎌倉

■ :細田・鎌倉

中野甘藍(キャベツ)  
 キャベツ(甘藍)が野菜として日本に伝わったのは、江戸時代の終わりごろだといわれています。すずしい気候のヨーロッパでは春に種をまき、秋に収穫するのがふつうの栽培方法でしたが、日本では夏の気温が高いため、すずしい地域で栽培されていました。現在の細田に住んでいた中野藤助さんは、1882(明治15)年ごろからキャベツの研究をはじめました。1897(明治30)年ごろになるとキャベツが人気の野菜となります。しかし、栽培できる地域と時期が限られていたため、夏になるとキャベツが不足して値段が高くなりました。  
 そこで、藤助さんは息子の庫太郎さんとともに品種改良に取り組みました。秋に種をまいて春に収穫できるキャベツを開発し、「中野甘藍」と名づけました。  
 この功績が認められ、1913(大正2)年に当時の東京府知事から表彰されました。その賞状には、藤助さんがキャベツの栽培を村の人たちにすすめ、「村内で中野甘藍を栽培していない農家はない」と書かれています。また、葛飾が属した南葛飾郡(現在の葛飾区・江戸川区と足立区・江東区・墨田区の一部)でも広く栽培され、1911(明治44)年の栽培面積は約45ヘクタールに達しました。  
 品種改良は、藤助さん、庫太郎さん、真一さんと3代にわたり続けられ、九州や四国などの暖かい地域でも栽培できるように改良され、全国に広がっていきました。葛飾区では現在もキャベツが栽培されており、2013(平成25)年度の収穫量は約98トンありました。

中野甘藍のイラスト
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中野甘藍の名前がついたキャベツ焼酎
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