子ども葛飾区史

第3章 地域の歴史


第10節 お花茶屋・白鳥・宝町

■ :お花茶屋・白鳥・宝町

曳舟川親水公園(亀有4丁目、白鳥2・3丁目、四つ木4・5丁目)
 曳舟川は、もともと江戸時代につくられた水路の一部で本所上水とよばれ、現在の埼玉県越谷市から墨田区や江東区に飲み水を運んでいました。上水とは飲み水のことです。本所は、現在の墨田区にあります。葛飾の亀有から四つ木を通っていたため、亀有上水ともよばれましたが、1722年に廃止になりました。  
 その後、本所上水路のあとは農業用に使われるようになったため、古上水堀とよばれるようになります。古上水堀では舟の先に綱をつけて川岸から人が舟を引っぱって動かす「曳舟」が行われました。このことから曳舟川ともよばれるようになったのです。曳舟は1882(明治15)年ごろまで行われていました。  
 戦後、農地が住宅地に変わっていくと、農業用の水路は家庭などの排水を流す排水路になっていき、水の汚れやにおいが問題になりました。また、水路にごみが捨てられたり、子どもが落ちる事故などもありました。このため下水道を整備して、道路の下を排水が通るようにしていきました。  下水道が整備されたことで、曳舟川はうめ立てられ、曳舟川があった場所には、曳舟川のふんいきを残した曳舟川親水公園が整備されています。公園が開園したのは、1990(平成2)年のことです。

昭和20年代の曳舟川
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江戸時代にえがかれた曳舟(葛飾区郷土と天文の博物館所蔵)
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曳舟川親水公園
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