子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第9節 昭和時代

■豊富な水を活用した染色業 :

人物クローズアップ
清水幸太郎1897(明治30)~1988(昭和63)年
 長板という7メートルくらいの長い板に生地を張って、中くらいの大きさの模様となるよう型紙を使ってのりをつける「型付け」という作業の名人でした。染められた反物で浴衣などがつくられました。  
 小学校を卒業すると、職人だった父のもとで修業を始めました。1928(昭和3)年に現在の四つ木に移り住み、亡くなるまで葛飾で長板中形をつくり続けます。清水さんは1955(昭和30)年に人間国宝に認定されました。

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清水幸太郎さんの作品
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人物クローズアップ
小宮康助1882(明治15)~1961(昭和36)年
 江戸小紋という遠くからは無地に見えるほどの細かい紋様を染める職人です。染められた反物で着物などがつくられました。子どもの頃から修業を始め、25歳の時に独立しました。  
 1923(大正12)年の関東大震災で、浅草にあった工場が大きな被害を受けます。その後、川の水質を研究し、中川の水を使うとよい色に仕上がることを発見します。この水を使うため、1929(昭和4)年に現在の西新小岩に工場をつくり、亡くなるまで葛飾で江戸小紋をつくり続けました。人間国宝に認定されたのは1955(昭和30)年でした。「江戸小紋」という名前は、この時に小宮さんの小紋と他の小紋を区別するためにつくられました。  
 息子の康孝さんは技術を引きつぎ、1978(昭和53)年に人間国宝になりました。また、康孝さんの息子や孫にも技術が受けつがれています。

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小宮康助さんの作品
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