子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第9節 昭和時代

■葛飾区への空襲 :

東京大空襲  
 1945(昭和20)年3月10日未明には、東京大空襲がありました。葛飾区はこの大空襲による被害が比較的少なかったので、大きな被害を受けた現在の墨田区などから多くの被災者が荒川放水路をこえて避難してきました。

日本を空襲した爆撃機

日本への空襲の中心になったアメリカ軍の大型爆撃機B-29。
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焼け野原となった東京(1945〔昭和20〕年) (昭和館提供)
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空襲で燃える葛飾区役所(1945〔昭和20〕年) 

現在のかつしかシンフォニーヒルズが建っている場所(立石6丁目)にあった葛飾区役所は、アメリカ軍の空襲により全焼しました。
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(コラム)
当時中学生だった人の記憶
 「1945(昭和20)年3月10日の朝、奥戸橋に着いてびっくりしたのは、あの広い通りを焼けただれた服装(まるでぼろ布を着ているような姿)の避難者が、焼け残った棒を杖がわりによろめくように力なく歩いていく姿でした」といっています。  
 この避難者の列は3日間ほど続き、立石の人たちはお湯を用意して避難者を救護しました。