子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第9節 昭和時代

■高度経済成長から安定成長へ :

下水道などの施設の整備  
 葛飾区は、田畑が多い農村地帯であったため、農業に使う水を流す水路が張りめぐらされていました。  
 しかし、農地が住宅地に変わっていくと、水路には、家庭からの生活排水や工場排水が流れ、ごみも捨てられ、ハエや蚊がわき、においもひどい状態でした。また、子どもが転落する事故も多くあり、大雨が降ればあふれてしまいました。そこで、道路の下に下水道を整備して、排水を流し、下水処理場に送って水をきれいにしてから川に流すことにしました。  
 下水道の工事は1973(昭和48)年に始まり、1984(昭和59)年度には区内の半分以上の人が下水道を使えるようになりました。ほぼ全ての人が使えるようになったのは1995(平成7)年度になってからです。排水は、小菅水再生センターなどで処理され、川へ流しています。  
 下水道の整備により、必要がなくなった水路はうめ立てられました。一部は親水公園や緑道・コミュニティ道路に生まれ変わっています。

小菅水再生センター(小菅1丁目)

1日あたり25万立方メートルの水を処理する能力があります。処理してきれいになった水は、荒川と綾瀬川に流しています。(東京都下水道局提供)
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昭和時代の終わりに建てられた新しい施設

総合スポーツセンター体育館・陸上競技場(奥戸7丁目)

体育館は1984(昭和59)年に、陸上競技場は翌年に開設しました。葛飾区のスポーツの拠点1つとして、さまざまな大会が行われています。
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テクノプラザかつしか(青戸7丁目)

1988(昭和63)年に開設しました。葛飾区内の産業の拠点となっています。
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かつしかハープ橋(東四つ木1丁目~西新小岩3丁目)

1987(昭和62)年に開通しました。首都高速中央環状線にあり、綾瀬川を渡る橋です。
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