子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第7節 明治時代

■葛飾の近代化―学校 :

小学校の開校
 葛飾で最初にできた公立の小学校は、現在の亀青小学校で、1872(明治5)年に育幼社として開校し翌年には第四番小学青砥学校となりました。1873(明治6)年には、第五番小学勝鹿学校(現在の新宿小学校)も開校し、次第に小学校が増えていきました。
 現在の新宿小学校の、1874(明治7)年の生徒数は59人(男子47人、女子12人)でした。

1917(大正6)年ごろまで使われた亀青小学校の校舎
戻る時は右上の×をクリックしてください

明治時代の新宿小学校の集合写真
戻る時は右上の×をクリックしてください



日本で最初の公立学校
 葛飾には、現在の亀青小学校が開校する前に、日本で最初ともいわれている公立学校がありました。正覚寺(現在の小菅1丁目)にあった小菅県立仮学校です。この学校は1869(明治2)年に開校した、小菅県庁の職員を育てるための学校でした。しかし、2年後の1871(明治4)年に小菅県が廃止になり、学校もなくなりました。

小菅県立仮学校があった正覚寺
戻る時は右上の×をクリックしてください