子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第6節 江戸時代

■葛飾にきた徳川将軍 :

将軍が通った船橋
 江戸幕府は、川に橋をかけることを規制しましたが、将軍が通るときは例外でした。岸から岸へ船を並べ、その上に板をわたして行き来ができる仮の橋をかけたのです。これを船橋と呼びます。 葛飾でも船橋がかけられたことがありました。江戸時代には、小金原(現在の千葉県松戸市)に幕府の牧場があり、鹿狩りを行うために将軍がきたのです。
 鹿狩りには、農作物を荒らす動物を取り除いたり戦いの訓練などの目的があり、鹿やイノシシ、オオカミも狩りの対象となりました。8代将軍吉宗、11代将軍家斉、12代将軍家慶のときに行われ、江戸川に船橋がかけられました。家慶の鹿狩りのときは、手伝った家臣もふくめ2万4000人ほどが船橋をわたりました。また、動物を追いこむために農民6万3000人ほどが手伝い、葛飾の農民も多く参加しました。

船橋未完成図

江戸時代に金町松戸間に架けられた船橋の様子がわかります。川上には流れてきた大木やゴミで船橋が壊れないように綱がはられています。絵では船が5そうですが、実際は、21そうの船をつなぎました。
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千代田之御表 松戸宿船橋

明治時代にえがかれました。
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