子ども葛飾区史

第2章 葛飾の歴史


第5節 室町・安土桃山時代

■葛西城の取りこわし :

葛西城の取りこわし
 天下統一を目指す豊臣秀吉は、1590年に関東を治める北条氏の本拠地である小田原城に軍を進めます。このため葛西城は、再び戦いの場となっていったのです。
 北条氏が治めている葛西一帯に、秀吉軍の攻撃がせまってきました。水元、金町、柴又の村々では、戦いで村をこわさないように秀吉にお願いしてほしいと、豊臣家の武将である浅野長吉(後の長政)にうったえ、村の安全が保証されました。
 一方、葛西城では戦いがくり広げられましたが、4月下旬ごろに豊臣側に攻め落とされました。また、小田原城では、北条氏が城にこもって戦いましたが、7月上旬に降伏し、北条氏はほろびてしまいます。
 この戦いの後、葛西城は、秀吉の命令で取りこわしとなりました。

豊臣秀吉像(葛飾区指定有形文化財)(浄光寺 〔東四つ木1丁目〕所蔵)

江戸時代のものだと考えられています。
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浅野長吉添状(葛飾区指定有形文化財)(葛西神社〔東金町6丁目〕所蔵)

飯塚・猿俣・小合(いづれも水元の辺り)、金町、柴又の5つの村が、戦で村を攻撃しないようにお願いした時に、確認のため浅野長吉が書いたものです。
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小田原城を攻める秀吉軍の動き
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小田原城天守閣(神奈川県小田原市)

小田原城は、江戸時代にたてかえられています。現在の小田原城は江戸時代のたてかえのときの設計図などをもとに復元されたものです。
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