タイトル 子ども広報 今こそ知ろう! わたしたちのまち 葛飾の歴史 区では、これからの葛飾を担う子どもたちが、自分たちが住むまちの歴史を分かりやすく学べるよう「子ども葛飾区史」を刊行しました。その区史を基に子ども広報員が葛飾の歴史を紹介します。 AR動画 写真にスマートフォンなどのモバイル機器をかざすと、子ども広報の紙面で紹介できなかった写真などを見ることができます(AR動画の使い方などは下のQRコードを参照)。 タイトル 郷土と天文の博物館で葛飾区の成り立ちを学んだよ!  現在の葛飾区に人が定住するようになったのは、古墳時代前期からといわれています。「葛飾」という地名は万葉集(7〜8世紀)に出てくる古い地名で、時代の移り変わりとともに地名を変え、昭和7年(1932)に現在の葛飾区が誕生しました。 縄文 ▲海水面が現在の埼玉県川越市・茨城県古河市付近まで入り込む 今から約6,000年前には葛飾は海の中だったんだ 弥生 ▲海水面が現在と同じ高さになり、葛飾区付近が陸地となる 古墳 ▲柴又八幡神社古墳や立石南蔵院裏古墳が造られる 飛鳥・奈良・平安 ▲下総国葛飾郡が誕生する 鎌倉 ▲葛飾郡の西側が葛西と呼ばれ、伊勢神宮の領地になる  葛飾を含む葛西の一部が伊勢神宮に寄進(寄付)され、葛西御厨※と呼ばれるようになる  ※伊勢神宮などの神社や寺の領地 室町 ▲青戸に葛西城が築城される ▲国府台合戦が現在の千葉県松戸市・市川市付近で行われる 出土された物を調べることで当時の暮らしを知ることができるんだね 江戸 ▲葛飾区域を含む、現在の江戸川より西側が武蔵国となり、武蔵国葛飾郡となる ▲葛西城跡に、鷹狩りの際の宿泊施設として青戸御殿が整備される ▲徳川将軍が鷹狩りのために葛西領を訪れる ▲題経寺(柴又帝釈天)や浄光寺(木下川薬師)などが観光名所となる 明治・大正・昭和 ▲武蔵国から小菅県へと変わり、その後、東京府南葛飾郡となる ▲荒川放水路が完成する ▲葛飾区が誕生する タイトル もっと知りたい人は子ども葛飾区史を読んでみよう  葛飾に人が住む前の時代から現在までの歴史や文化、伝統などを写真や図版を多く使って、分かりやすくまとめました。  無理なく読み進められるよう、全ての漢字にフリガナをふっています。  ウェブ版「子ども葛飾区史」もあります。 【規格】 A4判、約220ページ、オールカラー 【閲覧】 区立図書館で閲覧できます。 【販売】 ▽販売開始日 10月30日(月)     ▽予定価格 1,500円(税込)     ▽販売場所 区政情報コーナー(区役所3階304番)。郵送による購入も可能です(送料は自己負担)。 【担当課】 総務課 電話5654‐8141 葛飾の歴史を感じるところへ取材に行ってみたよ! タイトル 浄光寺(木下川薬師) 東四つ木1丁目  浄光寺は、平安時代の嘉祥2年(849)に建てられたと伝わっています。江戸時代には病気を治す「木下川の薬師さま」として有名になり、多くの人が訪れました。歴史のあるお寺で、貴重な文化財を保有しています。 ▲御成記  江戸幕府ができてからは、8代将軍徳川吉宗や、12代将軍家慶などが鷹を使って白鳥や鴨を捕まえる「鷹狩り」の際の休憩場所として浄光寺を訪れました。  将軍が浄光寺を訪れたときの様子が書かれている「御成記」は、葛飾区指定有形文化財として指定されています。 御成記には当時の人の本音とかが書かれているんだって ▲留魂碑  幕臣勝海舟も浄光寺を愛した1人で、海舟の書などが浄光寺に残されています。また、明治12年(1879)7月、西郷隆盛の死を悼んだ勝海舟が、留魂碑を浄光寺境内に造立しました。現在は大田区の洗足池公園に移転されています。 ▲荒川放水路と浄光寺  浄光寺はもともと現在の木根川橋の下流で荒川の流れている場所にありましたが、大正時代の荒川放水路の工事の際に現在の場所に移りました。 今の荒川は人の手によって造られたんだね タイトル 矢切の渡し  江戸川を舟で渡す「矢切の渡し」は、現在は観光渡船として柴又と千葉県松戸市下矢切の間を往復していますが、江戸時代には農民渡船として日常的に使われていました。  この周辺は、かつて「からめきの瀬」と呼ばれた浅瀬で、舟を使わずに川を渡れる場所でした。また、北条氏・里見氏の国府台合戦の際には、この一帯が主戦場となり、両軍合わせて多くの戦死者がでた激戦地でした。 矢切の渡しの辺りで大きな戦いがあったなんて信じられない! タイトル 題経寺(柴又帝釈天) 柴又7丁目  寛永6年(1629)に建てられたと伝わる題経寺は、帝釈堂や二天門などの彫刻が有名です。また、境内の瑞龍の松は東京都指定天然記念物に、回廊式庭園の邃溪園は東京都の指定名勝になっています。 この彫刻は葛飾区登録有形文化財なんだよ! ▲庚申の日  行方不明となっていた帝釈天の像が彫られた板(板本尊)が江戸時代中期に見つかりました。住職の日敬は、これを背負って飢えや病気に苦しむ人々を救う活動を行いました。板本尊が見つかったのが、60日に1度の庚申の日であったため、庚申の日を縁日としました。当時、庚申の日には寝ないで夜を明かすという考え方があり、縁日の日は大変な賑わいとなりました。現在も縁日は続いていて、多くの人が訪れます。 なぜ庚申の日は徹夜するの? 徹夜をするのは、「人の体内には虫がいて、その虫が庚申の日の夜、寝ている隙に神様へその人の日々の行いを報告し、行いによっては早死にする」と考えられていたからなんだ。  次の庚申の日は9月30日(土)です。  題経寺に足を運んでみてはいかがですか? タイトル 文化的景観選定に向けて  「葛飾柴又の文化的景観」について、葛飾区は地域の方々と共に、その継承に努めるとともに、「風景の国宝」と言われる国の重要文化的景観への選定に向けた取り組みを進めています。  選定されれば、都内初選定となり、「葛飾柴又の文化的景観」が日本を代表する風景のひとつとして認められることになります。 タイトル 取材を終えて 鈴木朋花さん 川端小6年  たくさんの歴史の話を聞いたり見たりして、びっくりすることばかりでした。これからももっと葛飾区のことを知りたいなと思いました。 柳川存音さん こすげ小6年  葛飾区の昔から受け継がれている歴史を感じることができて、これからも受け継いでいかなければと思いました。 照井地希紀さん 花の木小6年  いろんな人と会って葛飾区の歴史を知れるのは、本当に貴重な経験になりました。 岡本一桔さん 柴又小5年  葛飾区の成り立ちや、さまざまな歴史が知れて良かったです。 国吉莉奈さん 上千葉小4年  今の葛飾は、いろいろな建物や道があるけど、昔は全部水の中だったことをみんなに伝えたいです。