広報かつしか bP718 平成30年 2018年 新年号 発行/葛飾区 編集/広報課 〒124−8555 葛飾区立石5―13―1 電話3695−1111 夢 誇り 愛着 葛飾の魅力発信! タイトル 年頭にあたって 葛飾区長 青木 克コ  明けましておめでとうございます。  昨年は、多くの区民の皆さまから温かいご支援をいただき、区長三期目を迎えることとなりました。新しい年も区民第一、現場第一、スピード感を持った仕事、区民へのおもてなしをモットーに、区政運営に全力を注いでまいります。  特に、安全・安心、災害対策では、木造住宅密集地域の防災性を向上させる整備促進や細街路の拡幅、橋の架け替え、国や東京都と連携した河川の堤防強化、老朽化が進む学校や保育園の建て替え、駅周辺の再開発、災害時に区民の安全を守る司令塔となる総合庁舎整備など、計画的、かつスピード感をもって対応することこそ、区の大きな責任であると強く思っています。  また、子育て支援については、着実に保育所整備を進め、若い世代が働きやすい環境をつくるためにも待機児童ゼロを早期に実現します。  さらに、高齢化も踏まえ、スポーツに親しむ機会を増やし、健康長寿をめざす一方、医療・介護等の連携も強化します。  今後も一人でも多くの方が夢と希望を抱き、区民の皆さまとの協働により「住み続けたい」と思えるまちを実現してまいります。  結びに、本年が皆さまにとりまして、心豊かに安心して暮らせる年となりますことを祈念しまして、年頭のごあいさつとさせていただきます。 タイトル キャプテン翼CUPかつしか2018 【日程】 1月6日(土)・7日(日) 【会場】 私学事業団総合運動場     (東新小岩1‐18‐1) エキシビションマッチ 1月7日(日)午後1時15分開始! 北澤豪さん率いるゲストチームと、南葛SCがガチ勝負! U−12ジュニアサッカー大会 1月6日(土)・7日(日) タイトル 新春対談 葛飾区長 青木 克コ 北澤 豪さん プロフィール 昭和43年8月10日生まれ。修徳高等学校サッカー部時代に全国高校サッカー選手権大会出場・高校総体ベスト8進出。卒業後は本田技研工業、読売クラブ(後のヴェルディ川崎)に所属。日本代表でも活躍。現在は日本サッカー協会理事、日本障がい者サッカー連盟会長などを務める。  「キャプテン翼CUPかつしか」に毎年参加していただいており、修徳高等学校サッカー部出身でサッカー解説者の北澤豪さんをお迎えしました。 間もなくキャプテン翼CUP 区長 北澤さんは、修徳高校のご出身ということで、いつも関心を持って活躍を拝見させていただいています。葛飾区はキャプテン翼と縁があって、サッカーを大きな柱として子どもたちにスポーツを楽しんでもらおうと思っています。 北澤 子どもたちにはスポーツを通じて、できないことができるようになる喜びを知ってほしいと思います。そういった意味では、キャプテン翼というモデルがあるのは大きいと思いますね。漫画を読めばその意味が分かったりしますからね。 区長 キャプテン翼CUPかつしかは、今年で3回目になります。 北澤 毎年参加させていただいて本当にありがたいと思います。翼くんたちは憧れの存在だったので、漫画に出てくるユニフォームを着て試合をすることは非常に誇りに感じます。集まってくれた子どもたちには、「サッカーは楽しい」ということを伝えたいです。 サッカーを始めるきっかけ 区長 北澤さんはなぜサッカーに取り組むようになったのですか。 北澤 ボクは町田市の出身なんですけど、町田はサッカーが盛んで、地域の人たちが畑をグラウンド代わりに提供してくださったりしていました。そういった環境に生まれていなかったら、サッカーはやっていなかったでしょうね。 区長 私も環境は大事だと思います。葛飾区内には、奥戸総合スポーツセンターや東金町8丁目にもサッカー場があり、葛飾にいじゅくみらい公園内にもあります。また、水元総合スポーツセンターにもサッカー場を造っています。今後も、皆さんがサッカーを楽しんでもらえる環境をつくっていきたいと思います。 北澤 たくさんグラウンドがあるっていうのは、「やろう!」というきっかけになりますからね。 生粋のサッカー少年が葛飾区に 区長 修徳高校に入ったきっかけは? 北澤 中学のときに読売サッカークラブが近くにあって、そこで「プロをめざす!」っていう環境だったんです。でもその頃に家族で葛飾に引っ越して、通いきれなくなったこともあり、父の薦めで修徳に入りました。ただ正直、高校サッカーにありがちな「燃え尽きるまで」って感じが大嫌いでした。燃え尽きてしまうことがいいことかどうか当時疑問があり、その先にもまだサッカーがあるだろう!っていう思いがありました。玉拾いしてるなら練習してた方がいいんじゃないかと思って、よく立石の商店街をドリブルで走ってましたね。午後8時くらいになると商店街が閉まるんですけど、シャッターには当てずに壁にちゃんと当てて戻ってくるようにしながらドリブルしたりしてました(笑) 区長 そうだったんですね! サッカー部の監督とはどんな関係でしたか? 北澤 監督はサッカーを教える前に人を育てるという思いが強かったので、高校2年生くらいからチームとしてどうあるべきかってことを理解し始めたときに、個人としてもグッと成長しました。 区長 監督の影響というのは大きかったんですね。 北澤 そう思いますね。ボクも監督に言いたいことを言いましたし、監督も厳しく言ってくることや揉めることもありましたけど、それが大事だと思います。だから僕は1994年のワールドカップアメリカ大会予選でのドーハの悲劇の後、家に帰る前に監督のところに行きました。あの時は、どこ行っても「惜しかったね」とか言われるのがすごく嫌で、厳しいことを言ってくれる人いないかなって。 区長 指導者と、教わる生徒たちや子どもたちとの信頼関係って大事なんですね。それが無いと、なかなかお互いに切磋琢磨して上手になることが難しいですよね。 ※2面に続く 対談の模様をJ:COM(地上デジタル放送11チャンネル)、かつしかFM(78・9MHz)で放送します。詳しくは2面をご覧ください。 タイトル ドーハの悲劇…試合終了間際に同点に追い付かれ、ワールドカップ初出場を逃す 3面 吉田照美さん(フリーアナウンサー)・加納遼大選手(7人制ラグビー日本代表)インタビュー 4面 バッドボーイズが行く 新春堀切めぐり