平成27年(2015年)8月15日 No.1632 発行/葛飾区 編集/広報課 〒124-8555 葛飾区立石5-13-1 電話3695-1111 タイトル 未来へ語り継ごう平和への思い 【担当課】 総務課 電話5654-8141 忘れたい。でも伝えていかなければならない戦争の記憶 葛飾原爆被爆者の会(葛友会)副会長 奥田萩子さん(17歳のときに長崎で被爆) 宮崎から長崎へ  私は昭和19年4月、勤労女子挺身隊(※)として、実家のある宮崎県日南市から長崎県長崎市内の造船所に配属されました。  長崎は空襲が少なかったこと、上司や寮長夫妻はとても優しく、私たちを大切にしてくれていたことをよく覚えています。  そのころの日本は物資も不足していて、ろくに化粧品もないような時代でしたが、特に不満と感じることはなく、日本のために軍艦の建造に携わる誇りを持ちながら、当時は充実した日々を送っていました。 運命の日  昭和20年8月9日、私は届け物のため、友人と長崎市内の飽の浦にある本社を訪れていました。  午前11時2分、用事を済ませ、寮に戻ろうと階段を下りていたとき、大きな閃光と「ドーン!」という轟音に襲われました。本社が爆心地からやや離れていたため建物自体は無事でしたが、爆風によって玄関の大きなガラス製のドアが粉々に砕け散っていました。  私たちは本社近くの防空壕で6時間ほど避難した後、寮に戻るため船で対岸に渡りました。町中はがれきと化し、生き物の気配は全くなく、言葉を失いました。  寮に向かって歩いている途中、崩壊した県庁前でようやく見掛けた生存者は、髪の毛も衣服も何もかもが焼け焦げ、腕から剥がれた皮膚がワカメのように垂れ下がってふらふらと歩く、被爆した女性でした。その姿を見て、私たちは驚きのあまり叫び声を上げ、その場から逃げてしまいました。  私たちはその後、何とか無事に寮までたどり着くことができました。お互いに励まし合える友人の存在があったからこそ、凄惨な光景にもくじけずにいられました。 終戦後の出来事  原爆投下後、間もなくして終戦を迎えました。その日の夜、複数の軍人が私たちの寮に来ました。日本の敗戦を受け入れられず、私たちにも戦い続けるよう迫り、軍刀を抜いて柱を切り付けたときや、市内で多くの軍人が割腹自殺を図ったことを聞いたときは本当に怖いと思いました。  現在では考えられないと思いますが、当時の日本では、そのような考えを持つ教育が当然のように行われていたのです。  また、原爆によって破壊された市内にはろくな火葬場もなく、至る所で死体を焼いていました。恐ろしいことですが、町中に死体を焼く臭いが立ち込める日々が何日も続きました。 与えられた使命  あの日から70年たった現在、私は葛飾原爆被爆者の会(葛友会)の副会長として、被爆体験を話す立場にいます。  2カ月に一度、都内の被爆者の会の会合に出席すると必ず当時の話になり、さまざまな光景がよみがえります。また、日常生活の中でも、町中に充満していた死臭をふと思い出すこともあります。そんなとき、できることならば、あの日の出来事を全て忘れたいとさえ思います。  しかし、あの日を生き延び、今までこうして健康でいられたこと、戦争を知らない世代の方に被爆体験を話すことになったことも、単に偶然が重なったのではなく、何かに導かれ、後世に平和を伝えるという使命を与えられたのではないかと思うのです。  現在の日本では、多くの方が幸せな生活を送っていると思います。しかし一方で、世界中には、長崎に落とされた原爆の何百倍何千倍もの威力を持つと言われる核兵器が数多くあります。そして、何かしらの拍子に一発でも核兵器が使われるようなことが起これば、その幸せが一瞬にして失われてしまうのです。決して他人事ではありません。  私の被爆体験には耳をふさぎたくなるような話もありますが、全て70年前にこの日本で起こった事実です。  人は、自分が体験しなければ本当の怖さを理解することは難しいと思います。それでも、私の被爆体験を聞いた何百人の方たちの中から、ほんの数人でも本当の怖さを理解してくれる方がいて、その方から「戦争をしてはいけない」「核兵器を造ってはいけない」という輪が世界中に広がってほしいと思います。そのような願いを込め、私はこれからもこの目で見て、耳で聞いた被爆体験を話し続けていきます。 ※勤労女子挺身隊…戦争の後期に、戦争による労働力不足を補うため、未婚の女性で結成された。主に工場などでの労働に従事。 タイトル 非核平和祈念のつどい  8月3日、テクノプラザかつしかで戦没者への黙とう・献花・千羽鶴の献架などを行い、区民の皆さんと非核平和への思いを共有しました。 新小岩中学校生徒による被爆体験講話会感想文の発表(要約) 「戦争の記憶」宮下 未来さん  今、日本は戦後70年を迎えています。これから大人になる私たちは、平和とはいったいどういうものなのか、平和のためには何ができるのかということを考えていきたいです。 「一人一人の思いが平和につながる」久保田 菜々さん  戦争をして良いことは全くありません。ただ1回の原爆で何万人、何十万人の命がなくなってしまうのです。今この時代を生きている私たちが世界の平和を願う思いを後世へと語り継いでいきたいと思います。 亡くなった方への冥福と平和への祈りを込めて、千羽鶴を折りました タイトル 葛飾区非核平和都市宣言 (昭和58年11月19日) 世界の恒久平和は、人類共通の願いである。 しかしながら、今日なお世界の動きは、核戦争の危機をはらみ、誠に憂慮にたえない。 わが国は唯一の被爆国として、核兵器の恐ろしさと、被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならない。 葛飾区は、区民の生命と安全を守るためいかなる国のいかなる核兵器に対しても、その廃絶を求め、ここに「非核平和都市」を宣言する。 区の実施する非核平和関連イベントを8面で紹介しています 人 口 452,040人 (男226,368人 女225,672人) 世帯数 220,728世帯(平成27年8月1日現在) はなしょうぶコール 電話6758−2222 午前8時〜午後8時 年中無休 区ホームページ http://www.city.katsushika.lg.jp